「被災者を励ますためにいろんなことをやろうぜ!」震災2週間後に南京町で炊き出し

―――阪神・淡路大震災の時は南京町商店街振興組合の副理事長でした。震災当日はどういう状況だったのですか?
 ちょうど前日の夜は南京町春節祭のいろいろな書類をまとめあげて、焼鳥屋さんで1人で打ち上げをしていたんです。「やった!あとは春節シーズンを迎えるだけだ!」という感じの夜だったんです。その後、家に帰って寝たんですが、のどが渇いて目が覚めた何秒かあとにダーッ!と激しい揺れに襲われまして、すぐに南京町に向かいました。途中の光景は、ビルが倒壊していて、全く今までとは様変わりしていました。三宮あたりは電車の高架が倒れていてひどい状況で、「これは現実ではない」と思いながら南京町にたどり着きました。

―――そのあとは?
 1週間もたたないで「これからどうするかを話し合おう」となりまして、南京町のみなさんが集まりました。安否確認をして、犠牲者がいなかったので話し合いをすることになり、「我々は被災した神戸の街をほっといたらあかん」「被災者を励ますためにいろんなことをやろうぜ!」とみんなの意見が一致しました。ちょうど予定していた春節のイベントが中止になったので「南京町は食の街だから炊き出しをして、少しでも神戸のみなさんを元気づけよう!」と、そんな強い思いで1月31日に炊き出しをさせていただきました。

―――阪神・淡路大震災が起きてわずか2週間後ですよね?
 私たちも被災者たちのために「早く何かをしないとあかん」という思いがあったんです。「こういう状況が続いたら絶対人口流出する」と。だから「早くいろんな支援をして神戸に未来の灯りを灯さないと」という気持ちでいました。みなさんに温かい食べ物を召し上がっていただいて、涙ながらに「うれしいわ」とか「また炊き出しをやって」とか「元気をもらったわ」と声をかけてもらって...。炊き出しをやっている私たちが、逆に感動してしまって。「もっと我々ができることをいろいろやらなくては」という思いがさらに強まりましたね。