「嫁ぎ先に行ってガタガタにしてきたろか」過酷な取り調べ

阪原さんの長男・弘次さんによれば、逮捕前後の取り調べは暴言や暴力を伴う過酷なものだったという。
(阪原弘さんの長男・弘次さん)
「『(任意の取り調べの際に)鉛筆を束ねたもので頭は小突かれるわ、パイプ椅子を蹴飛ばされて、父ちゃん床に尻もちついたこと何べんもあるんやで』と言うてました」
「『娘の嫁ぎ先に行って家の中ガタガタにしてきたろうか、親戚のところの職場に行って、その男に手錠かけて引きずり回したろかと言われた時は、父ちゃんもう我慢できんかったんや』その時は泣きながら私に訴えていました」
この後、阪原さんは「女性を殺害後、42キロの女性を1人で軽トラックの荷台に乗せ、何もかぶせずに警察署の前を通って遺棄した」と自白をした。
「虚偽の自白強要」“無罪主張”も無念の無期懲役…遺族が再審に挑む

その後裁判で、「虚偽の自白を強要された」などとして一貫して無罪を主張した阪原さん。しかし、裁判所は検察側が積み重ねた間接証拠などを基に有罪と判断。無期懲役を言い渡され、2000年に刑が確定した。阪原さんは、獄中から2006年に再審(裁判のやり直し)を求めたものの、大阪高裁で審理が行われていた2011年に75歳で病死。失意の遺族を奮い立たせたのは、阪原さんが刑務所で使用していた物品が送り返されたことだった。
(阪原弘さんの長男・弘次さん)
「(逮捕されてから亡くなるまで)父が使っていた物が段ボール箱1箱分、ミカン箱2つ分だけってあまりにも悲しいじゃないですか。せめて父の無念だけでも晴らしたい」
2012年、遺族らは2回目の再審請求に踏み切った。