今の政策は「論理的でなく」「説明できない」

つくづく頭の良い方なのだろうと感心しました。日本銀行の新しい総裁への起用が固まった経済学者の植田和男氏は、報道されたその日、自宅前で記者団の質問に答えました。まず、日銀の現在の政策は適切であり、金融緩和を続けることが必要であるとの基本的な考えを示しました。その上で植田氏は、「①判断は論理的にすること、②説明はわかりやすくすることが重要である」と述べました。植田氏の基本的な考えが、この短い言葉に凝縮されています。

10年に及んだ「異次元緩和」の末に、現在の政策には「論理的でないもの」「説明がわかりにくいもの」がある。それは修正するが、金融緩和路線は続ける。そう言っているのです。

まずは「長期金利コントロール」の修正か

「論理的でないもの」の最たるものは、10年金利の目標を0%に設定し、その変動幅を±0.5%の範囲内に抑え込むという政策でしょう。植田日銀の最初の仕事は、この修正になると見られます。そもそも長期的な様々な見通しの下に市場で決定される長期金利を、中央銀行がコントロールしようとすること自体、市場機能の破壊です。その変動幅を0.5%にすると言っても、数字自体には全く論理的必然性がありません。
その死守のために、市場から買うものが無くなってしまうまで、やみくもに国債を買い続けるなどという事態は、植田氏の眼から見れば、「非論理的」どころか「滑稽」に見えるでしょう。
12月に許容幅を突然0.25%から0.5%に拡大した際に、黒田総裁が「利上げではない」と、それ以前と180度異なる説明をしたことなどは、「わかりにくい」を通り越して、「理解不能」と言えるでしょう。
植田氏は昨年7月に日経新聞に掲載された「経済教室」で、「長期金利コントロールは微調整に向かない仕組み」と明言しており、いっぺんに撤廃したいというのが本心だと思います。市場関係者の間では「夏までの間に撤廃」との見方も出ているほどです。
その一方、いっぺんに撤廃となると、その際の金利の跳ね方が大きくなり、市場に混乱をきたすので、不本意ながら、まずは許容幅の一層の拡大という手順を踏むだろうと見方もあります。このあたりは、今後の検討次第でしょう。

あまりにわかりにくい「マイナス金利」

中期的に取り組むべき課題は、「マイナス金利」の解除です。「マイナス金利」はショック療法として、緊急的に短期間導入することはあり得ます。しかし、長期にわたって続けても効果はなく、むしろ副作用が大きいからです。現実問題として預金金利をマイナスにすることは難しいので金融機関の経営を圧迫し、むしろ「お金の流れ」を阻害してしまいます。このため日銀は、マイナス金利が適用されない仕組みも次々と作っており、際立って「わかりにくい」ものになっているからです。
植田氏は、金融緩和の必要性は強調しており、金利をプラス圏まで利上げすることは当面頭にないでしょう。それでも「マイナス」を「ゼロ」にすれば、「利上げ」には違いないので、物価や賃金の上昇などわかりやすい材料が揃わないと、そう簡単には踏み切れないかもしれません。

「普通の緩和」への転換は、手始めだけでも高いハードル

このように植田新総裁を待ち構えているのは「異次元緩和」「超金融緩和」から「異次元」や「超」をとって、いわば「普通の金融緩和」にしていくことです。それはとりもなおさず、短期金利の誘導という中央銀行本来の手段を、金融政策の中心に据えることに他なりません。その手始めですら、これだけハードルが高いのです。
「異次元」の本質は、国債などの資産を無節操なまでに日銀が大量に買い入れることです。これはアベノミクスが、大量の国債を発行して財政支出を増やしたことの裏返しです。「国債の大量発行」と「日銀の大量買入れ」はセットなのです。日銀が突如、国債買い入れをやめたり、まして売却したりしてしまえば、大変なことになってしまいます。日本の長期金利に先高観がある中では、なおさらです。
本当の「異次元緩和修正」には、「異次元財政の修正」が不可避なのですが、防衛費倍増や子育て支援倍増などで「歳出圧力」「国債頼み」は、むしろ強まっており、政治がその修正に取り組む気配はありません。「異次元」の修正は、日銀、まして植田新総裁だけに負わせるべき話ではありません。
「発行された国債の半分以上を日銀が買い入れ」、「主要企業の筆頭株主に次々と日銀がなる」。こんなことがいつまでも続けられるわけがありません。とんでもないことをやらかすだけやらかしたツケは、あまりにも大きいのです。

播摩 卓士(BS-TBS「Bizスクエア」メインキャスター)