阿賀町にあった昭和電工 鹿瀬工場からメチル水銀が阿賀野川に流出。
汚染された魚を食べた人たちが手足のしびれや感覚障害を訴えるようになったのです。

皆川栄一さん
「そこに水路がありますけども、水路をつたわって水銀とかの毒物がずっと阿賀野川まで流れていったと」
昭和電工とはどんな会社だったのか… 皆川さんが証言してくれたのは、その光と影でした。
皆川栄一さん
「(当時の鹿瀬町は)8000人から1万2000人くらいの人口があったんですけど、この昭和電工ひとつのおかげで大体、町の税金(固定資産税)は全くかからなかった。鹿瀬町の人たちも、勤めている人も会社さまさまでね」

当時は2000人ほどが働いていて、地元の住民にとっては憧れの会社だったといいます。新潟水俣病が公式確認された当時、皆川さんの周りには水俣病の症状を訴える人が多くいましたが…
皆川栄一さん
「今でも昭和電工に勤めていた人は大勢いますけども、そういう人たちでも、『今はその会社のおかげで、たくさんの年金をいただいている』と。だから昭和電工は悪くは言えないと言う人は多いんです」

食と密接に関わっていた阿賀野川。そこに流れ出たメチル水銀の影響は皆川さんの体にも現れました。