宮城県塩釜市の浦戸(うらと)諸島の一つ野々島(ののしま)では、震災前に比べ人口が半減し、その大半が高齢者です。そんな野々島の学校に通う子どもたちがいます。潮風の通学路に響く子供たちの声と住民の思いです。

8月24日(月)夏休み明けの朝、久々に顔を合わせる場所は、教室ではなく船の中です。船の行き先は、松島湾に浮かぶ野々島。そこに彼らが通う学校があります。

船に揺られるのは、塩釜市立浦戸小中学校の子供たち。彼らの日常が戻ってきました。島までは、約25分です。学校がある野々島は4つの島からなる浦戸諸島の一つ。この島も東日本大震災による津波で大きな被害を受けました。

3年前に卒業した桂島からの生徒を最後に島の子供は1人もいなくなりました。
子供たちだけではなく島の人口も減り続けています。かつては、浦戸諸島全体で2000人を数えた人口も震災から15年がたち、ここ野々島ではわずか32世帯51人になってしまいました。

夏休み明けの塩釜市立浦戸小中学校では、子どもたちの元気な笑い声が一か月ぶりに響いていました。

そして・・・船で子どもたちが帰り、再び静寂が戻った島。通学路には、ここ野々島で生まれ育ったという女性がいました。

島の女性:
「いいんだね子供たちの声を聴いただけでも…大人ばかりで、年よりばかりだもの、みんな年寄りになってしまったのね。ここで生まれたから、ここが一番いいわけなの・・・」

震災前の2009年には、106人いた野々島の住民も2026年7月末では51人と半減し、過疎化は現在進行形で進んでいます。
学校と島民との交流としては、運動会のほか、学校のカリキュラムとして島の人に指導を受けながらのカキむき体験やカヌー体験、島めぐりなどをしています。
浦戸小学校は、小中一貫校で9年間、野々島に通う子もいて、毎年秋には、オリジナルの演劇を全校生で上演するなど、ユニークな取り組みをしています。卒業してからも、運動会などにも顔を出すなど、島とのつながりを持っているということです。














