世界の頂点から病魔へ「なんで自分だったんだろう」
アジア大会は、池江にとって常に競技人生のターニングポイントとなってきた舞台だ。
初出場は高校3年生、18歳で迎えた2018年のジャカルタ大会。次々と金メダルを獲得し、最終日を前に5冠を達成。そして迎えた最終種目の50m自由形。

「5個目の金メダルをとった後に、最終日に残っていたのが50m自由形だったんですよ。その時はエントリーランキングが2位とか3位とかで、1位の選手が自分より自己ベストが全然速くて、正直勝てないかもとは思っていて。ただレース前にその選手の顔を見た時に、『勝ったな』と思ったんです」
二宮が「何故なの? 雰囲気?」と尋ねると、池江はこう振り返った。
「わかんないです。絶対私負けないなと思って泳いだら勝つことができたので。本当に勝つか負けるかは実力の問題じゃなかった、あのレースは気持ちでどっちが勝てるかの試合だったので」
日本人史上初となる「6冠」を達成し、その名は一躍世界へと響き渡った。
しかし、2019年――世界トップレベルまで上り詰めた矢先、過酷な試練が彼女を襲う。合宿中の体調不良により緊急帰国。言い渡された診断名は「急性リンパ性白血病」だった。
二宮から「病気になって闘病生活をしていく中で、水泳というものはどういったポジションだった?」と問われた池江は、当時の精神的な葛藤を明かした。

「日本で1番だったし、それこそ世界ランキングも1番になれた、やっと1番になれた時の病気だったので…。2019年に世界選手権があって、もちろん見てたんですけど『自分が出てたらメダルとれてたのかな』とか、いろんなアスリートたちが活躍している中で『なんで自分だったんだろう』とか。泳げない時期は、なぜ自分じゃなきゃいけなかったっていうことはすごく精神的にはきつかったです」
それでも、水泳から心が離れることはなかったという。

「水泳を離れるとか辞めるとかそういう考えはまったく無かった。水泳は本当に生活の一部なので。お風呂入るのと一緒で、毎日やることではあったので」
病と闘い続け、1年後にようやくプールへと復帰。「この1年ちょっと待ち望んでいたプールに入るということができてすごく嬉しかった」と当時語っていた池江だったが、本当の苦悩は復帰後に待っていた。

















