「関東大震災」と「原爆」を生きぬいた

吉村さんは1923(大正12)年、東京生まれ。生後わずか1か月の時に関東大震災に遭い、ぼろきれにくるまれて生き延びました。

16歳で両親と死別し、8つ下の妹と2人きりに。働くため1人訪れた長崎で22歳の時に被爆しました。当時は爆心地から約1.1キロの三菱兵器製作所大橋工場で勤務していました。

無数のガラスが突き刺さる重傷を負いながらも、黒焦げの遺体や血で染まった川の中を生き延び、その後は負傷者の救護や遺体の処理に奔走しました。

流産・死産繰り返す「子どもが欲しかった」

戦後は、戦死した義兄の幼い子供を育てながら、深夜まで働く生活を続けました。流産や死産を経験し、自身の子どもを持つことが叶わなかったことを「夫に申し訳ない」と生前語っていました。100歳を超えても一人暮らしを続け、毎日深夜まで読書をするなど毎日を力強く生きました。