この直後、さらに安樂を不運が襲った。
ランナーは満塁。済美の2番手投手はサウスポー。西条は左バッター。
外のボールで勝負にいくとひっかけた打球は1、2塁間を破った…。
ライトは「安樂」
前進してきた安樂はぎこちなくグラブにあててボールを掴むと、すかさず素早いモーションでホームを狙い右腕を振り切った…。
ホームは間に合わなかった。
しかしそれ以上のことが、すでに外野の芝の上では起きていた。
この回2度目の「不意の送球」に安樂は体を折り曲げ、右ひじの内側を左の親指で圧迫させながら激痛に顔を歪めた。
2013年9月 あいテレビ「キャッチあい」で放送
春のセンバツ準優勝、夏の愛媛大会157キロ、甲子園最速155キロ、台湾での18U野球ワールドカップ準優勝とベストナイン。
有り余る才能と規格外の球威、そして躍動感あふれるピッチングフォーム...
「一高校生の部活動」と理解しながらも、多くの高校野球ファンがその「限界値」を知りたがり彼の一挙手一投足に注目した。
しかしその一方で「投球過多」による不安は常につきまとい、その表裏一体のギリギリの攻防が、またさらに16歳の少年を輝かせたのも事実で、無限の可能性という幻想に酔ってしまったファンも少なくないだろう。
そして、安樂は肘を痛めた。
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この年、私は2人の投手を取材しその肉声を放送した。1人は、元北海道日本ハムで当時、愛媛マンダリンパイレーツの金森敬之投手。
「あれだけ投げられて、正直羨ましいなと思いますよ」
安樂のピッチングへの率直な感想だ。
金森は東海大菅生高校から2004年、日本ハムに入団すると’07年に4勝、その後も先発、中継ぎと毎年10試合以上1軍のマウンドで活躍してきた。
ところが’11年春、右ひじの靭帯を損傷。
翌3月には右ひじ側副靭帯の再建手術を受けたが、オフには「戦力外通告」を受けていた。
「僕はどちらかというと、投げて投げて、打たれてまた投げてみたいな感じでやってましたが、その反動が来たと思うんです。でも投げないとつかない体力もあるし、投げないとつかない筋力もあるので、そこは難しいところなんですよね」
そしてこう付け加えた。
「でも、ケガをしたら負けですよ」
華やかなNPBの世界を後にした金森はその後、独立リーグでNPB復帰を目指し慎重にリハビリとトレーニングを重ね、後期リーグ戦には中継ぎの切り札として活躍するまでに復活した。
「投げられる」ということが、野球人にとって、投手にとってどれだけ幸せなことか。
「シーズン初めが、今の状態だったらね」
言葉に悔しさはにじむも、その表情は晴れやかだった。
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そして’13年夏の甲子園後に取材したのが、ジャイアンツや近鉄で活躍した「打者」吉岡雄二(元愛媛MPコーチ)。
しかしかつては、あの帝京高校を夏の甲子園初優勝に導いた「背番号1」だ。
1989年夏の甲子園で吉岡は全5試合に登板し、3試合を完封、わずか1失点。圧巻の内容で全国制覇を達成した。
ところが…
大会終了後に行われた国際試合、日韓米高校親善野球。ここで吉岡の「肩」は悲鳴を上げたのだった。
「振り返れば、やっぱりすごく疲労がたまっていて、甲子園で緊張している中で何試合も投げて、その後に1回気持ちが楽になった状態でまた投げた時に、気持ち的には大丈夫だったが、やはり…そこで肩を痛めたんです」
結局、吉岡はこの年のドラフト会議でジャイアンツから指名され入団するが、すぐに右肩を手術。「打者転向」を余儀なくされた。
それでもこの取材の時、吉岡はこうも付け加えている。
「僕も高校の時、本当に3連投、4連投を経験しているんですが(プロ入り後は)高校生の時の、精神的な強さだったり、その時に培ったものもすごく大きかったので」
そして最後にこう語った。
「高校生は投げませんとは言いませんからね。高校生を止めるのは大変なことです。だからこそ指導者には、冷静な判断をしてもらいたいなと思いますね」
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実は高校時代、野球部に所属しキャッチャーだった私も肘を故障した経験がある。最もひどい時にはピッチャーまでボールが届かなかった。鍼を打ち、灸を据え、テーピングをし、握力を鍛え、そして軟膏を擦り込み、夏でも冷やすまいとサポーターを巻きつづけた。
学校、グラウンド、治療院、学校、グラウンド、治療院…。
朝起きて、ボールを握って「もしかしたら、きょうは痛くないんじゃないか…」
希望と落胆の繰り返し。最後の夏が近づく中、まともに練習できず本来の力を出し切れない。
それでも本番になったら「腕が折れても…」という覚悟は出来上がっていたように記憶している。
「将来?何を言ってるんですか。何のためにここまでやってきたんですか―」
日々、前のめりになって野球をしている球児たちに冷静な判断を求めるのは難しい。それでも最後は本人が決めればいい。
ただ、あれほど魅力的で楽しい「野球」を将来に渡って「見るだけ」にしてしまうのは、あまりにももったいないと思う。
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「準々決勝の後と、準決勝の後に1日休養日を設置」
「試合中に給水タイムを」
「1週間で500球の球数制限」
「延長タイブレークは10回からに変更」
選手を守り、投手の負担軽減を目的に今も様々な改革が進む高校野球。
ただそのきっかけとなった球児が、あの日全力を振り絞って限界突破に挑んでいた姿は、私たち「甲子園ファン」の心に今も深く刻まれている。
今月27日、春のセンバツ切符は全国に届けられ
一足早く訪れた春に、球児たちの笑顔は満開となる。
筆者:あいテレビ報道部 高橋浩由