きっかけは「高校推薦」無名だった少年を見出した恩師

東京・立川市出身で、ナイジェリア人の父と日本人の母を持つ中島は、中学から陸上をスタート。サニブラウンをはじめ多くのスプリンターを輩出した名門・城西大学附属城西高校(東京・豊島区)への進学を切望していたが、当時は全国大会の出場経験すらない無名の存在だった。

そんな彼に400mの選手として声をかけたのが、シドニー五輪出場経験を持つ城西大城西高校陸上部の山村貴彦監督(47)だった。山村監督は「私はタイムが速いから声をかけるというよりは、自分の目で見て伸ばしてあげられるかなと思う子に基本的に声をかけるので。長い目で見て、高校3年間で大成しなくても将来的に世界で活躍できるようになればいいなと、あくまでも僕の願望と僕の目標というか、自分を超えるような選手を育てたいというのもあったので」と当時を明かす。

城西大城西高校陸上部 山村貴彦監督

「なぜ一番きついと思われる400mをやろうと思ったのか」と疑問を投げかける石川に対し、中島は「行きたい高校があって、400mのタイムなら推薦をもらえるということで始めた。高校に入ったらやめようと思っていた。100mや200mの方が好きというか、できればスプリントをやりたかった」と意外な事実を明かした。しかし、400mの日本学生新記録(45秒03)を樹立した経験を持つ山村監督のもとで厳しい練習を重ねるうちに才能が開花し、インターハイ準決勝まで勝ち進むこととなる。

高校時代、山村監督から「貪欲さとアスリートとしての意識レベルが上がれば、シニアで日本一になれる」と言われた言葉が、大学でも陸上を続ける大きなきっかけになったという。