パリ五輪落選「負けろって思ってました」

幼い頃からの夢は「オリンピックで金メダル」。しかし、2024年パリ五輪の日本代表選考レースで試練が訪れる。

代表3枠のうち、2枠は張本と戸上隼輔(24)に内定。残り1枠をかけ、全日本選手権3位の強敵・篠塚大登(22)と一騎打ちの争いとなった。勝った方が代表に近づくパリ五輪前最後の選考会。一進一退の攻防の末、試合は最終第7ゲームへ。10-8と篠塚にマッチポイントを握られ、フルゲームの末に惜敗した。代表3枠目は篠塚に決まり、松島は補欠としてパリに帯同することになった。

応援席からどんな思いで試合を見ていたのか。松島は当時の本音を隠さない。

「試合を見ていて『負けろ』って思ってましたよ。本当に悔しかった、あの時は」

過去に味わったことのない屈辱が、彼の卓球人生を大きく変える。補欠として帯同したパリ五輪帰国の日、松島は母に「次は俺が行くから待ってて」とLINEを送った。母はその言葉に強い決意を感じ取ったという。

パリの悔しさを胸に、新たに取り組んだのが週2回のウエイトトレーニングだった。指導にあたる田添健汰コーチ(31)は「見てわかるのはボールのスピード。受ける側としては回転量が増えたり。体勢が崩れなくなって体幹が強くなった」と成果を語る。肉体強化によって磨かれた松島の最大の武器、それが「カウンター」だ。

相手の強打に対して守るのではなく、自らも強打で打ち返す高度な技術。入山浩治監督(55)は「(松島の)ボールはどんなトップ選手でも返せない。スピードも速いしコースもかなり厳しい」と太鼓判を押す。目指したのは、単なる強さだけでなく、コントロールされた「相手に触らせないカウンター」だった。

パリ五輪から5か月後、2025年1月の全日本選手権・準決勝。相手は当時世界ランキング上位の張本。磨き上げたカウンターを武器に、ゲームカウント4-1で圧勝すると、決勝ではパリ五輪の枠を争った篠塚を破り、見事大会初優勝を果たした。さらに2026年3月には、世界ランキング1位の中国・王楚欽(オウ・ソキン)をも撃破。その後も海外の強豪を次々と倒し、世界ランキング3位へと駆け上がった。