激しく戦い、時に手を取ってきた沖縄の「保革」
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宮原ジェフリーさん(以下、宮原):
「復帰前の琉球民政府の行政主席だった屋良朝苗さんが、復帰後は初代県知事というポストに代わり、実質2期目という当選でした。屋良さんの後継となる平良さんの後、保革が入れ替わるわけですが、この時は平良さんが病気で辞任なさったことで起きた選挙で、現職と新人の対決ではなかったことはポイント」
「保守か革新かという対立軸自体はもちろんあったが、人間関係的なところを見ると、平良さん(第2代知事)西銘さん(第3代知事)は両者とも、沖縄社会大衆党(※1)の立ち上げに関わっている方です。戦後の沖縄が、米軍統治下にあり、「どういったことができるか」とスタートした人たちでした。理念の違いはありますが、出発点が近い人たちだったことは押さえておくといいかなと思います」(※1) 沖縄の地域政党
「西銘さんは国会議員としての経験があり、永田町の人たちとの “パイプ” で沖縄の要求を実現させていくことに長けていたと評価されることが多いです。ただ長期政権となると、不満や粗が見えてきます。西銘さんは自民党内の人事で親族にあたる人を重用し、党内からも批判を受けて、90年の選挙では大田さんに敗れました」
「大田さん(第4代知事)は、普天間基地の移設・閉鎖を国との交渉で矢面に立って議論していったところが、一番のポイントとして語られるところです。また歴史的なところを見ると、大田さんの2期目の選挙で戦ったのは、後に県知事となる翁長雄志さん(第7代知事)の兄にあたる助裕さんでした。その後、保守系の稲嶺さん(第5代知事)が2期、仲井真さん(第6代知事)が2期と続きます」
「保守・革新のコアな支持者もそれぞれいますが、必ずしもそうではない人のボリュームもやはり多いわけです。そういった人たちにどうアプローチするかというなかで、仲井真さんは大田県政の1期目で副知事をやり、稲嶺さんも経済界からのブレーンとしていろいろな形で協力していました。手法は異なりながらも、「沖縄県をどう良くしていくかを考えてきた人物」という意味では変わらないのです」














