敏さんが最初に連絡したのは「自動車教習所」

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愛する息子を失った直後、現実を全く受け止めきれないまま迎えた翌朝。

悲しみに暮れる間もなく警察の聴取などに追われた、極限の混乱状態にあった当時の様子を振り返ります。

(堤 敏さん)
「朝になってテレビをつけると、ニュースや情報番組、息子の名前、写真まで出されて、事件が報道されていました。だから、これは朝から関係先とか学校、職場、親戚なんかも含めて、これ連絡しとかなあかんな、そう思ったんですけども」

「朝8時、9時、そんな時間から、家の固定電話で、家族の携帯電話が鳴りっぱなしになって、

『テレビ見たけどあれってお前んとこか』
『ニュース見たんやけどあれ、堤さんんとこか、堤さんとこの息子さんか』、

逆に向こうから電話がかかってくる、っていった状況でした」

「そんな電話が一段落して、私がやっとの思いで自分で連絡した先っていうのは、当時息子がバイクの免許を取得するために通っていた自動車教習所でした」

「そして事件のことを説明して、教習を打ち切る連絡ではなくて、その日の教習のキャンセルをお願いする電話をしました」

「なぜそのときに教習所に電話をしたのか、なぜそのような内容の電話をしたのか、それは今でも分かりません。事件の翌日の朝ということもあって、混乱していたのかもしれません」

「事件の翌日の朝、それはまだまだやることがいっぱいというか、何も受け止めきれていない状態の中での電話対応」

「家に県警の刑事さんが来て、事件が起こった時間に私たちはどこにいて何をしていたか、親子関係はどうだったかなど、そういうこと聞かれました」

「これは私たちも容疑者だったのかなと、後になって思いました。また、容疑者から外すための質問だったのかなと…そんなことをずっと考えました」