「どっちでもよかったくらいの感覚」高3で始めたダンス 工場を半年で退職しダンスの道へ

(プロダンサー KTR・後藤慶太郎さん)
「気持ち良い。大自然で空気が違う」

高校を卒業するまで、海と山に囲まれた自然豊かな三浦半島で育ちました。

(プロダンサー KTR・後藤慶太郎さん)
「あの島も泳いで行っていた。船でも行ったし」

そんなのびのびとした環境で育ったKTRさんですが、ダンスを始めたのは意外にも遅く高校3年生の時でした。

(プロダンサー KTR・後藤慶太郎さん)
「高校まで野球をやっていて、野球が終わってから身体を動かすということをやめたくないと思っていた時に、ダンスをやっている友達とキックボクシングをやっている友達がいて、親が『キックボクシングはやめて』と言ったので、それでダンスになった。どっちでもよかったっていうくらいの感覚だった」

2009年春に高校卒業後、一度は三重県にある自動車部品の工場に就職。
しかし本格的に「ダンスを学びたい」と、わずか半年で退職し、大阪へ移りました。

(プロダンサー KTR・後藤慶太郎さん)
「負けたくないという気持ちだけで。他にダンスがうまい人がいっぱいいて、なんで自分はこんなに下手なんだろうという気持ちの方が強くて」

一気に世界レベルへ…「宇和島で『やってやろう精神』が培われた」

本格的にダンスと向き合い始めてから数年…
快進撃が始まります。

海外の大会へ挑戦すると、2015年にはドイツで開催された世界大会で準優勝を飾るなど、一気に世界レベルへと駆け上がりました。

(プロダンサー KTR・後藤慶太郎さん)
「大自然で育ったからこそ純粋無垢というかまっすぐな気持ちで健やかに育ったんだろうなとは今思う。根拠のない自信というか、やってやろう精神というか、それが培われたんだなと思う」