やってはいけないこととやらねばならないこと

改めて記すまでもないことだが、被害者の救命、生命の保護は絶対優先だ。過去の大阪・附属池田小学校児童殺傷事件(2001年)や熊本地震(2016年)の時のような、取材行為による「邪魔」はさすがに最近はないと信じたいが、小さいトラブルはなかなか止まない。そのうえで、ここでは大きく3つのことを記しておきたい。

第1は、「弔いの機会の保護」である。遺族には死を悼む時間や空間を確保する「権利」があるということだ。例えば、死亡事実のファーストアナウンスはあってはならないし、常に犠牲者に対する尊厳を保つ必要がある。近年一般化している空撮による遺体の運び出し中継(ブルーシート取材)もその必要性を十分に吟味したほうがよい。

第2は、「虚偽情報との峻別」だ。通常の報道以上にとことん事実と確認できた情報のみを報道する姿勢を貫いてほしい。逆に、明白な誤りや真偽不明情報には毅然として対峙すべきで、例えばネット上で出回っているデマに対しては、打消し報道が必要な時代に来ている。

SNS晒し行為に対しても、あえて火中に飛び込んでもやってはいけない行為であることを厳しく指弾すべきだ。また、推測に基づく識者コメントが心無い書き込みに繋がっている場合が少なからずあり、テレビが誹謗中傷の発信源になり得ることを自覚しなくてはいけない。桶川ストーカー事件報道で最も傷ついたのはテレビコメンテーターの心無い発言であると、遺族が警告している。また、関連して警察や周辺取材で知り得たことを不用意に「伝えない」ということも大切だ。

そして第3は、改めて「過熱集中取材・報道の回避」という古くて新しい問題だ。放送・新聞の警察取材中心の取材態勢の宿命でもあろうし、とりわけテレビにおけるコスパと確実性から事件・事故の現場に取材陣が集中しがちな実態がある。

しかし、こうした高い関心事(≒視聴率)はマッチポンプの可能性がある、くらいの反省と見直しが必要ではないか。むしろ、孤独感や裏切られ感を強めがちな被害者が、社会に対する信頼を取り戻すことに繋がる報道をしなくてはいけない。一人ではない、ジャーナリストがいると思わせる報道こそが求められている(注10)。

(注10)犯罪発生時、被害者に対応ハンドブック等が支給されることが一般化しているが、そうしたハンドブックの1つに、報道機関が共同で制作した取材・報道の意味や報道によって実現できることなどをまとめた冊子やサイトがあってしかるべきだろう。2016年の性暴力と報道・対話の会『性暴力被害取材のためのガイドブック』は性暴力被害者と被害者を取材する記者向けのものであって、こうした取り組みがより広がることが期待される。