犯罪被害者の「嫌なこと」の内実

しかし一方で、報道は一般に「相手の嫌がることを報じる」ことが少なからずある。その典型は政治家の悪事の追及で、当人にとっては嫌なことに違いない。事件事故報道においても、当事者(被害者)の期待通りの報道(時には報道しないこと)ではなく、場合によっては望まない報道をしなくてはいけないことは十分にある。むしろその方が現実的には多いといってもよかろう。

では「嫌なこと」とは何なのか。実名報道されることが嫌との声があることは事実だが、その内訳は名前そのものが出ることではなく、それがきっかけでのプライバシーの暴露であることが多い。直近の例でいえば沖縄・辺野古沖転覆事故において、犠牲者の高校生の父親はウェブ上で誤った情報を正す必要があると思ったと記している(注9)。

そもそもプライバシー権は、スキャンダル報道を懲らしめるために米国の弁護士によって考え出された法理論であって、取材報道を制限することが目的である。そうしたプライバシーの侵害があるとすれば、当然、報じたものには責任を負う覚悟と責任が求められることになる。

そして何より犯罪被害者も、まったく報じないことを望んでいるのではなく、多くの当事者が声をあげているように、「もっと伝えて欲しいこと」が存在する。それと伝えてほしくないことのあまりにも大きなアンバランスが、メディアを忌避するといった行動に繋がっていることを知らなければなるまい。

具体的には、(1)被害者支援についての情報、(2)被害者(とりわけ性犯罪被害者)についての偏見の是正(3)被害者の置かれている状況(被害状況の深刻さ、警察等の対応の問題など)は、以前から繰り返しメディアに対し期待されている事柄である。

(注9)事故遺族がnote内で発信する「辺野古ボート転覆事故遺族メモ」から。2026年3月28日から7月10日までに19回投稿。