SNS全盛時代にあって、新聞やテレビなど伝統的な報道機関の持つ影響力や存在感は相対的に弱くなったと指摘される。しかし、健全な民主主義社会には専門的に報道に携わる組織あるいは個人が不可欠であることは論をまたない。ただ、そうした人たちの取材報道活動=ジャーナリズムを時代にあわせてアップデートすることは重要だ。そのために必要な議論の素材を提供する目的で始まった、専修大学ジャーナリズム学科・山田健太教授による連載「明日のジャーナリズムへ」の第4回は、前回に続き、「基礎的公共情報」の共有について。
名前を報じるうえで現場において最も悩ましいのが、犯罪被害者の扱いであることは間違いない。例えば実名報道をした後、犠牲者のご遺族から涙ながらの抗議の電話がかかってくれば、人としてそれを無視することはできまい。むしろそうした辛い思いをさせてしまった責任を、当該メディアは負う必要が出てくる。
さらに近年では、当事者にはすぐに弁護士が付く制度が整備され、取材や報道に対して法的な警告書の類いが届くことも少なくない。今回は、こうした具体的な事例を念頭に、犯罪被害者の取材・報道に特化して話をしていきたい。
40年の間に大きく変わった被害者報道
これまで(あるいは今日においても)社会制度として、犯罪被害者をきちんと守っていくことが十分ではなかった。当事者遺族が声をあげることによって、ようやく徐々にではあるが法律が追いついてきたのが1990年代以降の流れである。
同様に取材報道の在り方も、遠慮なき取材や書きたい放題の時代から、大きく様変わりしてきた。例えば、1985年の日航ジャンボ機御巣鷹山墜落事故の際、日本航空は乗客名簿をいち早く公開。放送はじめ多くのメディアは名前だけではなく、なぜ搭乗したかをはじめ詳細な個人情報の「発掘」競争を繰り広げた。
その約10年後に発生した1997年の女性会社員円山町殺害事件では、被害者の生前の行状や全裸写真まで週刊誌で報じられる事態となった。翌1999年の女子大学生桶川ストーカー殺害事件(注1)においても、被害者の大学生について事実に反する噂話が報道によって拡散していった。いずれの場合も、弁護士会が声明や意見書を発表し、取材や報道を戒める事態を生んだ。そうしたなかで、「全国犯罪被害者の会(あすの会)」が2000年に設立され、具体的な支援法制に繋がっていく流れができていった(注2)。
一方、2003年の個人情報保護法が成立するなど、社会全体でプライバシーをめぐる意識の高まりがあり、2000年代以降、被害者をめぐる扱いは大きな転換を迎えたといえる。
例えば2005年に起きたJR西日本福知山線事故では、一部の犠牲者の氏名は伏せられたままとなった。2013年のアルジェリア日本人人質事件でも、日揮・政府ともに実名発表はしなかった。その後も2016年の相模原障害者施設殺傷事件、2017年の座間連続殺人事件、2019年の京都アニメーション放火殺傷事件、2022年知床遊覧船沈没事故と、事件・事故が起きるたびに「実名・匿名」問題が社会的問題となり、結果として被害者遺族に精神的プレッシャーを与える結果となってきたと言えよう。
(注1)遺族の取り組みや清水潔の調査報道(『桶川ストーカー殺人事件――遺言』に詳しい)により真犯人が特定されたことなどもあり、ストーカー規制法制定に結びついた。
(注2)犯罪被害者支援の歴史をごく簡単に振り替えると、最初は1967年の市瀬朝市さんの「殺人犯罪の撲滅を推進する遺族の会」の発足が挙げられることが多い。1980年に犯罪被害者給付金支給法、1992年に東京歯科医科大学「犯罪被害者相談室」設置、96年に警察庁が被害者対策要綱を制定するとともに犯罪被害者対策室を設置、98年に全国被害者支援ネットワーク発足、そして99年の「被害者の権利宣言」へと続く。














