小学生で旧宮家だったことを知る「えっそんな立場だったの」

久邇さん
「(皇籍離脱は)全く覚えていません。私が生まれたのは1944年(昭和19年)の10月なんですよ。あと半年ちょっとでもう敗戦というような厳しい状態でしたし」

▲久邇さんと母の知子女王

3歳のときに皇籍を離脱した久邇さんは、小学生になるまで自身が旧宮家の皇族だったということを知らなかったと言います。

久邇さん
「学習院初等科なんですが、入りましたら当時西組、東組、中組の3クラスだったんですが、そこでも普通に教育を受けてきました。ただ、三笠宮家の甯子(やすこ)さん(三笠宮崇仁親王の長女)が同級生だったんです。ある時、遠足か何かでぶどう狩りに連れて行ってくれて、そうしたら甯子さんと隣り合わせで写真を撮られて。甯子さんは東組、私は西組。組が違ってなんで並ばなきゃいけないのと。そこから『えっ』と思ったのが最初で、家に帰って 『宮様が側で』って言ったら、『あなたもそうなんです、宮様なんです』みたいなことを言われたのが初めてですね」
「母は亡くなっていましたから、今で言うお手伝いさん、女中の何人かにそう言われました。『えっそんな立場だったの』ってびっくりしました。それまで全然(皇族としての)教育を受けたこともないですし、普通に遊んでおりましたので」

母親は久邇さんが幼い頃に亡くなっていて、父親の朝融さんからも宮家だった頃の話を聞くことはありませんでした。

▲父の朝融さん(皇籍離脱後)

「父親とは何の話をしたかよく覚えていない」と話す久邇さんですが、一方でこう振り返りました。

久邇さん
「私のことは『ひろちゃん』って言って。そういう感じの優しい男でしたね」