阪神大震災当時、大阪に住んでいた葛西さんは小学2年生でした。

葛西さん「ゴォーっていう音で、2年生なのでゴジラが来たって思ったんですね」

大きな揺れで家の中のドアが開かなくなり、母親がドアのガラス張りの部分を割って、必死の思いで外へ避難しました。



葛西さん「怖い状態だったけど、ご近所さんに「大丈夫?」って言われた時にすごく安心した」

裸足で逃げる時、近所の人から靴下をもらった葛西さん親子。周りの人に助けてもらったことは今でも忘れられないといいます。

その10年後には、107人が死亡したJR福知山線の脱線事故が発生。当時大学生だった葛西さんは、この電車に乗って通学する予定でしたが、偶然にも難を逃れていました。



そして、2011年の東日本大震災。葛西さんは社会人2年目に東京で経験しました。「当たり前の日常」が一瞬で奪われてしまう大きな災害や事故。

葛西さんにはある感情が芽生えたといいます。

葛西さん「みんな一生懸命生きてきたんだから、それが継続できるように何かできないかな、じゃあ備えよう」

その後、大手企業をやめ、「防災」を広める活動を始めた葛西さん。

その中で、浪江町の人と出会ったことがきっかけで、4年前に初めて浪江町を訪れました。

葛西さん「(当時は)全く音が聞こえない。目に見えるものしか情報がないような印象でした。この町に音が戻ってくるのかなっていうのを直感で思った」