体に異常を感じた2023年夏場所
3年前の2023年夏場所。西十両3枚目だった炎鵬は、体に異常を感じ、9連敗。10日目から休場した。診断は、脳からの命令を全身に伝え、全身の感覚も脳に送る神経の束である脊髄に損傷があるとのことだった。翌場所からちょうど1年、6場所全休した。番付は幕下、三段目、序二段を通り越して西序ノ口13枚目まで落ちた。この間に所属していた宮城野部屋は幕内北青鵬(引退)の暴力問題で、師匠の元横綱白鵬を始め、全員が伊勢ケ浜部屋に預けられた。
医師からは引退を促され、全身の感覚が乱れて体を思うように動かせない。熱さも正常に感じないようになったという。それでも土俵をあきらめなかった。31歳がそこまでした理由は何か。5歳で始めた相撲への愛着があったのはもちろんだ。だが、残り1場所に迫っていた番付上のある数字があったからではないか、と思う。
それは力士が引退後に親方(年寄)として日本相撲協会に残るための基準である関取在位数だ。現在、年寄を襲名するためには小結以上の三役を1場所、幕内在位なら20場所、十両、幕内合わせて関取在位では30場所のいずれかを満たさなければならない。炎鵬の場合、最高位は前頭4枚目。幕内在位は9場所。そして、けがをした時が十両在位20場所目だった。この場所で勝ち越すか、負け越しても十両に残れる成績なら基準を満たしていた。
伊勢ケ浜部屋に移った力士は、師匠白鵬の協会退職後、現在幕内の伯桜鵬が伯乃富士に、草野は義ノ富士に、来場所新十両になる松井も嵐富士に、と伊勢ケ浜部屋ゆかりの「富士」をつけるしこ名に改名した。しかし、炎鵬は「鵬」の字を貫いた。白鵬は退職時に「宮城野」の年寄名跡を旧宮城野部屋力士に譲るよう現在の継承者である元横綱旭富士と約束した、とも言われている。夏場所後の理事会で彼らの預かり状態は解除され、正式に伊勢ケ浜部屋所属になった。宮城野部屋は完全に消滅してしまったが、炎鵬は、尊敬する元の師匠の名跡、「宮城野」を継げる資格は得たことになる。
自らも首を痛めたことがあるという元関脇勢の春日山親方は、「首を痛めると、痛いし、怖い。でも、炎鵬は自分を奮い起こして戦っている。それはファンの声援の力が大きいと思う。僕も、それが頑張る源だった。小さい人が頑張るのが大相撲のだいご味。彼の活躍は、多くの人に勇気と希望を与えていると思いますよ」と話した。
開幕前、久々の力士会に参加した炎鵬は、報道陣に幕下以下の力士がつける「黒まわしを捨てた」と告白した。「もう幕下以下には戻らない。その時は力士を辞める時」という決意の現れだろう。次の7月は、2年前に7場所連続休場後に序ノ口から再スタートを切った名古屋場所。故郷石川からも近く、準ご当所場所だ。
「今度は関取に戻った姿を名古屋のファンに見てもらえるので、楽しみにして欲しい。故郷からの声援は、ありがたいの一言。その期待に応えられるよう頑張っていかないといけないですね」
宮城野部屋に戻る希望は絶たれた。だが、挑戦はまだ終わらない。最後は「ありがとうございました」と報道陣にも頭を下げた。そして、「お疲れ様」の声をかける関係者へも笑顔の会釈をし、両国の街に消えていった。
(スポーツライター・竹園隆浩)














