2度の「PISAショック」と実用性重視への転換

さらにその背景というか、根拠の一つとされたのが「PISAショック」でした。PISA(P、I、S、A)と書くんですが、まずはこの説明からします。

PISAは、OECD(経済協力開発機構)が2000年からほぼ3年ごとに実施している「学習到達度調査」です。対象は15歳。参加国は当初32か国でしたが、今は80か国以上です。科目は国語(読解力)、数学(数学的リテラシー)、理科(科学的リテラシー)で、知識というよりそれをどう実生活に活かせるか、という活用力を重視しています。

日本は全体に常に上位にあり、特に数学と科学に関しては、ほぼずっと5位以内という高い成績を収めています。ただ、国語=読解力は他の2科目より低めの結果が続きました。

例えば2000年の第1回、数学は1位、科学は2位だったのに、読解力は8位でした。ただ、この時は「意外に低かったね」くらいの受け止めだったのですが、2003年の第2回では14位に急落して、「PISAショック」という言葉が生まれました。2006年の第3回はさらに順位を下げて15位。しかも、この時は数学も10位、科学も6位に落ちて「日本の学力低下は本物だ」という危機感が、教育関係者の間で高まりました。

原因扱いされたのが「ゆとり教育」です。 98年から99年にかけての学習指導要領の改訂では、授業時間や学習内容をおよそ3割減らし、「総合的な学習の時間」を設けるなど、「知識の“詰め込み”から、自ら考える力へのシフト」を目指しましたが、これによって基礎学力が落ちた、という批判です。

結果、2004年から文科省や中央教育審議会で「ゆとり教育見直し」の議論が始まり、第1次安倍政権下の2006年に「学校評価の義務化」などを含む教育基本法の全面改定が行われ、翌2007年から「全国学力テスト」が始まりました。2008年に告示された学習指導要領では、授業時間や内容を増やすなど「脱ゆとり」路線が打ち出されました。

では、この間、国語(読解力)の順位はどう推移したか。2009年の第4回は8位と上昇し、2012年の第5回では4位へ急上昇しました。ゆとり批判派は「見直しの結果」だと言い、ゆとりを推進した側からは「考える力を育てる教育が、時間を経て実を結んだ」と言いますが、どちらが正しいかはわかりません。

ただ、脱ゆとり教育が全面実施された後の第6回、2015年には再び8位に下がり、2018年の第6回ではまた15位に急落しました。これが2回目のPISAショックです。

話は最初に戻りますが、この2回目のPISAショックを受けて、2018年に告示された今の学習指導要領で、高校生は論説文や評論、契約書などを素材とする「現代の国語」が必修となり、小説などを題材とする「文学国語」は選択科目になりました。

繰り返しになりますが、より実用的な国語教育に重点が置かれたわけです。で、PISAの結果はというと、2022年の第7回では過去最高の3位に急上昇しました。要因はさまざま言われますが、学習の面ではPISAの出題傾向に近い「全国学力テスト」が定着し、今の学習指導要領でPISAが求める「主体的・対話的学び」や「論理的読解力」を重視したことなどが言われます。

と、まぁ、日本の国語教育は2度のPISAショックを受けて大きく変わり、今は社会的な要請もあって、論理的な思考や実用文を重視しているわけですが、今度は「AIの急速な進歩」という想像を超えた社会の変化で、AIでは代替できない人間性=人の心情を読み解き、考え、受け止める力がつく文学の授業を増やす流れに、戻りつつあるわけです。

ただ、紆余曲折はあったものの、私はこの「人間性回帰」ともいえる流れは歓迎する一人です。というか、そもそもPISAの順位に一喜一憂するのもどうかと思っていましたし、その対策みたいな授業やテストをして順位を上げても、あまり意味がないとすら思っていました。

それよりも、山中伸弥さんが「日本では研究者の地位があまりにも低い」と嘆いたり、大隅良典さんが「このままでは日本人からノーベル賞受賞者は出なくなる」と危惧するなど、歴代のノーベル賞受賞者が訴える「大学の基礎研究力の低下」のほうが、PISAの順位なんかより、よほど問題だと思っています。