生成AI時代に求められる「心」の領域と文学の価値
けれども、今や「AIの時代」です。論理的な文書や契約書、法的文書などの読解や作成は、AIが最も得意とする分野で、実用私も、契約書のリーガルチェックとか、報告書の作成や要約などで、結構、生成AIを使っています。
一方でAIは、理屈では割り切れない人情の機微や、揺れる思い、言葉とは裏腹な本音といった、私たちが「心」と呼ぶ領域の理解や分析は、必ずしも得意ではありません。
その前提に立てば、多感な10代に生成AIで代替可能な実務能力を高める授業に偏らず、人の心情を読み解き、考え、受け止める力がつく文学の授業も増やしよう――と、そういう話です。
ただ、高校の国語の授業が今の形になったのは4年前、2022年度からです。2018年に告示された新しい学習指導要領が22年入学の高校1年生から適用されたんですが、それ以前(2003年から2021年まで)は「国語総合」という必修科目が設定されて、論説・小説・古文・漢文を総合的に学び、ほかに現代文や古典、漢文などが選択科目で設定されていました。
つまり2018年の学習指導要領改訂以前、教科書で言うと2021年度入学の1年生までは、国語の必修科目の題材に小説などの文学が入っていたのに、外れたのはここ数年で、2030年前後とみられる次の改訂では再び、文学が必修の素材になる見込みです。
ではなぜ、前回2018年の改訂で文学が必修科目から外れ、論理的・実用的な文章を学ぶ「現代の国語」に置き換わったのか。背景には大きく言って二つの事情がありました。
一つは、産業界・経済界の要請です。改訂の議論が始まった当時、経団連などは国語の授業が文学偏重=「なぜ主人公は泣いたのか」的な、情緒的読解に偏り、「論理的に考え、表現できる人材が不足している」と訴えて、文科省の審議会にもそうした意見が反映された結果、2018年改訂のテーマは「社会に開かれた教育課程」=有り体に言うと、仕事に役立つ、社会人としての基礎的能力に直結する国語力の育成に向けられました。














