自らつかみ取った転機と40歳での再出発
そんな中で自ら道を切り開いたのが、原田眞人監督への“直談判”だった。大好きな作品への思いを手紙につづり、ワークショップの場で直接手渡したという。
思い入れのあった、映画「KAMIKAZE TAXI」(1995年)や、「金融腐蝕列島〔呪縛〕」(1999年)、「クライマーズ・ハイ」(2008年)といった原田監督の作品たち。「それがどれだけ好きか、とにかく全部書いて“出たいんです”と伝えました」と、思いをしたため、監督からは映画の勉強会、そしてオーディションにも「来る?」と誘いが。「本当に無理やりこじ開けた感じです」。自ら動くことで、次の扉を開けていった。
そして訪れたもう一つの大きな転機が、40歳を目前にした再出発だった。子育てに全力を注いでた日々の中で、「本当はあそこに行きたい」などの葛藤と、「子どもの成長を見逃したくない」という気持ちの間で揺れ続けていた赤間さん。そんな時、実家の母親から「捨てていい?」と聞かれた段ボール箱の中にあった、無名塾時代に自らが書いたノートを読み返し、“ある一文”と再会する。
「19歳の時に『40歳になっても何者にもなっていなかったら辞めること』と書いてあって。それを39歳で読んだ時に、“あれ、どうしよう”と思ったんです」。かつての自分との約束に突き動かされ、「このまま終わっていいのか」と自問。再び学び直す決意を固めた。














