■新発見の資料からわかる “安吾”誕生への変遷

今回見つかった手紙は、“安吾の変化”を物語ります。

【岩田多佳子 学芸員】
「今回発見された手紙になると、学校生活を楽しんでいる様子が分かるんですね」

「私は友人が大勢できた」

手紙の中で安吾は、三堀氏に東京の友人との会話で使っている“流行り言葉”を嬉しそうに教えています。

「ヨタ=不良少年、立チン坊、及び嘘を云う」

作家デビューした後に安吾は自伝的な小説を残していますが、それは「あくまで作品だ」としていたため、ありのままの安吾が見て取れる資料は三堀氏との手紙のみではと、岩田学芸員は解説します。


【岩田多佳子 学芸員】
「多感な時期の転校という経験。その中で色々なことを体験したことが、その後の安吾の作品にも反映しているのではないかなという風に思います」


この手紙には、実はもう1つ驚きの事実が記されています。
「ペンネーム」です。

坂口安吾の本名は”坂口炳五”(さかぐちへいご)ですが、1通目の手紙には、「炳吾(へいご)」という文字が書かれており、”五”を”吾”に変えています。

さらに今回発見された2通目には…「安護(あんご)」と書かれています。


【岩田多佳子 学芸員】
「初めから安吾と書いていたんだろうと思っていたら、こういった表記が出てきたということ、これは新しい発見だと思います」


『安吾』の表記を模索していたと推測できる資料が見つかったことは、大きな驚きだそうです。

【岩田多佳子 学芸員】
「新しい資料というのは幅を広げてくれると思うので、安吾を考え、想像して、少年安吾はどんな思いでいたのかなと、もう一度考えていただければと思います」

炳五(へいご)が文豪「安吾」になるまでの変遷に触れられるこの手紙は、3月26日まで展示されています。