悩んだ末、プロ野球コミッショナーを引き受けたクマさん

さて、話をプロ野球に戻す。
「暴力団排除」が進むなかで、新たな不祥事が起きる。2013年、球界を根底から揺るがした「統一球問題」である。

NPBは公式戦で使用する「統一球」を、反発係数の高い、いわゆる「飛ぶボール」へと変更していたにもかかわらず、その事実を公表していなかったことが明らかになった。コミッショナーの座にあったのは、大リーグ通を自任する元外交官の加藤良三だった。 

加藤は選手会や世論から激しい批判を浴び、責任を取る形で辞任に追い込まれる。

その直後から、プロ野球12球団の間では「こういうときこそ、検事出身の熊﨑さんにコミッショナーを引き受けてもらうしかない」という声が自然発生的に広がっていった。
しかし、熊﨑は即答しなかった。

「引き受けるかどうか、本当に悩んだ」

実は家族の反対があったからだ。だが、数週間熟考した末、熊﨑はあえて“火中の栗を拾う”決断を下す。

筆者は当時、熊﨑と自宅が近く、東京・世田谷区大蔵にあった「厚生年金スポーツセンター」のゴルフ練習場で、たびたび顔を合わせていた。ある日、熊﨑は静かに胸中を語った。

「頼まれるうちが華やろ。最後の御奉公やと思った。もちろん、妻も子どもたちも大反対や。検察時代は金丸事件や大蔵省接待事件で権力を敵に回し、神経をすり減らしてきた。
プロ野球のコミッショナー特別顧問になってからも、悪質応援団の難しい裁判を抱えてきた。『そろそろもう少し楽をしてもいいんじゃないの』と家族は言う。けどな、やっぱり宿命やと思って腹をくくった。時間はかかったけど、最後は理解してくれたよ」

熊﨑は、悩んだ末に引き受けることを決めた。

2014年1月 、正式にプロ野球の最高責任者であるNPBコミッショナーに就任、混乱のただ中にある球界の舵取りを担うことになった。

プロ野球12球団を統括するNPB(一般社団法人日本野球機構)東京・港区