「クマさんがいなければ、球界は本当に浄化されなかった」

「野球賭博」でNPBコミッショナーとして矢面に立ち続けた熊﨑だったが、その粘り強さと決断力で、球界の信頼を辛うじてつなぎ止めた。

「クマさんがいなければ、球界は本当に浄化されなかったと思う。今も暗い影を引きずっていたはずだ」(関係者)

筆者は1992年に司法記者クラブで熊﨑の番記者となって以来、30年にわたり付き合いが続いた。折に触れて、お互いの自宅から近い世田谷通り沿いのスナック「セカンドハウス」で待ち合わせて、酒を酌み交わした。

熊﨑の社会正義へのまなざしは、晩年に至るまで一貫して揺らぐことがなかった。

「一度でも暴力団の要求をのんだら、骨までしゃぶられる。あいつらは巧妙や。反社や暴力団は仮面をかぶっている。どこで、どう弱みを握られ、どんな落とし穴に引きずり込まれるか分からへん。人間は弱い存在だけれど、裏取引に応じたらあかん。これは断言できる。プロ野球が完全に関係を断ち切れるかどうか――それは、たぶん一生の仕事やろな」

ある野球担当記者によると熊﨑は在任中、シーズンオフは必ず12球団のキャンプ地に足を運び、運動部の記者や球団関係者に気さくに声をかけたという。

「クマさんは必ず球団のカラーに合わせたネクタイを締めて現場にあらわれた。中日のキャンプ地ではブルー、ソフトバンクでは黄色、カープでは赤、楽天ではえんじ色をつけていた」(関係者)

周囲への細やかな配慮は、生涯変わらなかった。

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