お正月に神様を迎えるために建物の入口などに飾られる「しめ縄」。鹿児島市に夫婦で工房を立ち上げて作り続ける男性職人がいます。かつては花火師だった男性の思いが込もったしめ縄づくりを取材しました。

鹿児島市の松原神社です。今年の三が日はおよそ5万人が参拝に訪れ、多くの人でにぎわいました。初詣客を出迎えるのは、太さ20センチ、長さ3メートル20センチの大きなしめ縄です。

(篠田さん)「この藁を使ってぴしゃっと作った日にはものすごく気持ち良い。俺のしめ縄だなという気がする」

しめ縄を作った篠田時正さん、51歳。妻の政代さんとともにしめ縄を作っていて、全国の神社や家庭に向け年間3000本を卸してきました。

(篠田さん)「色んな人が注文して、付け先も色々違う。(下げるときの)情景を思いながら作る」

(妻・政代さん)「わたしはちょこちょこした仕事しかできないけど頑張っていけたらいいな」

篠田さんは、しめ縄の材料となる藁から作ります。4月に田植えをし、稲穂が出る前に刈った青藁を使用します。

(篠田さん)「しめ縄も材料までこだわって青藁を使うことによってツヤや出来栄えが、俺のが一番きれいなんじゃないかなって自負する」

豊作などを願いながら、全身を使って組みあげていきます。

(篠田さん)「簡単そうだけど、藁の量も均等にはいかない。マメというかタコになっている」

篠田さんはしめ縄職人になる前は花火師でした。人々を笑顔にしたいと23歳のときに花火師の道に入り、九州各県の花火大会で打ち上げてきました。

(篠田さん)「花火って本当にきれいで人が喜ぶもの。とにかく不思議なもので吸い込まれていく。自分で火をいれるのがたまらなく好きだった」

花火の内職をしていた妻と、いつか2人で工房を立ち上げたいという夢を抱きながら花火師の仕事に打ち込んでいましたが…。

2003年4月11日、鹿児島市の花火工場で従業員10人が死亡する爆発事故が発生。そこは、篠田さんが花火師としてのキャリアをスタートさせ10年近く働いた工場でした。篠田さんは事故当時は別の会社に移っていたものの、かつての仲間たちが命を失いました。

(篠田さん)「花火師として同じ志を持った仲間だった。爆発の後は2、3年くらいは花火の音が聞きたくなかった。苦痛だった。どれだけ花火が好きだって、(夫婦で)花火工房がやりたいと思っていたって、命なんてかけきれない」

事故の後、ふたりが選んだのがしめ縄づくりでした。花火師だったころも花火大会が少ない冬場に副業として作ってはいたものの、本業としてしめ縄づくりで生計を立てていくことにしたのです。

花火作りとしめ縄作り。全く別に見える2つの仕事に通じる部分もあるといいます。

(篠田さん)「(花火としめ縄も)一緒。神様に納めるものという感覚で作っている。実際に花火工場に行っても、火薬を茶碗に並べる地味な仕事。それでも花火を作る人は、頭の中に花が咲いている。しめ縄も色こそ変わらないが、素材から形を作り出していくのはそれと一緒」

爆発事故から10年後の、2013年4月。篠田さん夫婦は、花火師時代には叶えることができなかった工房を作るという夢を実現させました。工房は、2人の名前、時正と政代から1文字ずつとり「時代屋」と名付けました。

(篠田さん)「結果的にこうして自分の工房という形で嫁さんとできているっていうことはありがたいのかなって。こういう風に死ぬまで作っていきたい」

師走。新年の準備が進む松原神社に篠田さんの姿がありました。

(松原神社 岩切宮司)「青田刈のきれいな材料で、非常に美しい出来」

(篠田さん)「最高の出来栄えというか、まだまだ最高になるように精進していかないとって思うけど。でもかっこよかなって思う。花火を打ち上げて良い花火大会が出来たなっていうのと、今全く同じ気持ち。正月みんなに来てもらって眺めてもらうのが楽しみだし、やりがい」