
■ 情報も機材も無く、外では救急車が長い列を…
「停電真っ暗で物がたおれて薬剤が散らばって機材が使えない。レントゲンCTすべて使えない状態」(東病院 東 和子 診療部長)

熊本市南区にある救急病院。
熊本地震の記録が多くの写真と共に詳細に残っています。
「外来を東病院チームとDMAT(災害派遣医療チーム)と2列に分けて」
「重症の人はここに入れたり入院させたり」
(東病院 東 謙二 理事長)

前震後、すぐに到着したDMATと共に被災した多くの患者を受け入れてきた病院。
2度目の大きな揺れで停電する中、倒壊の危険がある益城町の病院から次々と患者の受け入れ要請が。

「何が起こっているかわからない。もしかして熊本市内で建物が残っている病院はうちだけかもしれないって思いもあった」(東 謙二 理事長)
未明にできた救急車の長い列。

ライフラインは寸断され医療資材も情報も乏しく混乱する現場の中で当時はただ目の前のにある命を救うことを優先してきたと医師らは話します。
「ただ無我夢中だった」(東 和子 診療部長)

「停電だろうとなんだろうととにかく生き残っている病院がどうにか機能しなければ大変なことになるっていう思いで」(東 理事長)
リハビリの施設などを急遽、病床に作り替え多くの患者を受け入れてきました。(病床使用率は最大170%)

熊本地震から6年。
地震で得た教訓から新しい非常用電源を設けるなど、災害に対応できる病院づくりを進めています。

「(被災者が)助けを求めてたら可能な限り対応しようという感じで意識は変わったと思う」(東 謙二 理事長)
