「人が生きていた証を残したい」
震災は、町の風景と人々の暮らしを奪いました。
高倉さん「この道を東から西に、波と競争するような感じで避難所に戻ってきたような状況」
高倉さんは、自身の軽トラックに母親と地区の人を乗せて、避難所までを往復したといいます。

高倉さん「私は2回目に戻った時にそこでパトカーに止めてもらったから助かったわけ。俺より数十秒はやく入った後輩は亡くなっちゃった」
地区では16人、双葉町全体では21人が津波で亡くなりました。
高倉さん「自分ももうちょっと何かできたんじゃないかとかそういう思いがあったもんですから、3~5年は知っている人とか地区の人の顔は見たくなかった。しゃべるのも嫌だったし」
「救えなかった」という後悔を抱えたまま、東京で避難生活を送っていた高倉さん。2016年に県内に戻り、須賀川市から双葉町に通う生活を始めました。

高倉さん「生かされた分って言ったら大袈裟ですけど、できることをやらなきゃな。自分にできることを一生懸命、とりあえず動けるうちはやっぺなって気持ちで地元に戻ってきた」
その中で、ずっと抱いていた思いがあります。
高倉さん「国から居住区としては使えないと言われた段階で、ここで人が生きていた、生活した証を残さなきゃならないという気持ちが強かった」














