中東で始まった新たな戦争は、海外に依存する日本のエネルギ-事情の厳しさを改めて突きつけました。そんな中で迎える、3.11から15年目の節目。改めて、原発事故の意味を考えます。
新築直後に福島原発事故で一度も暮らせず… 避難先の新潟でも原発再稼働

2月、福島県大熊町にある自宅の解体に立ち会う防護服姿の女性がいました。
大賀あや子さん。新築直後に、原発事故が発生。あれから15年、一度も暮らすことのないまま壊されることとなった我が家。胸が痛み、解体は離れた場所から見守ったといいます。

大賀あや子さん
「大熊では小さく農業をやって、鳥や山羊も譲ってもらえそうな伝手(つて)もあったので、より自給自足に近づきたいなという夢を持っていました」
もともと福島第一原発から7キロほど離れた大熊町に暮らしていましたが、帰還困難区域になり避難を余儀なくされたのです。

現在は、故郷・大熊町の風景に似ているという、新潟県阿賀野市で生活を送っています。
大賀さん
「原発事故後は、放射能汚染で山の恵みは制限されて、そういう中で、この(阿賀野市の)土地を下見に来たときに、竹やぶが相当あることがわかったので、それが大きな決め手で」

ところが今年1月、新潟県にある柏崎刈羽原発6号機が14年ぶりに再稼働。福島の事故で当事者だった東京電力としては、事故後初めての原発再稼働です。
15年前の事故では、大量の放射性物質が飛散。最大100キロほど離れた自治体まで「自主避難区域」の対象となりました。
現在、大賀さんが暮らす阿賀野市は、柏崎刈羽原発から70キロほど。
大賀さん
「(柏崎刈羽原発が)再稼働してなかったら、安心して暮らせていたので。大熊でも福島(第一)原発が近くて警戒していて、新潟に帰っても警戒が続くことを意識しました。新潟と福島と二重に生きているというような感覚も持っている」
福島で生活を奪われ、新潟では不安にさいなまれる日々を送る大賀さん。
それは、原発の身近で暮らす人々も...














