ねぶたを観ながら決意 友達とコンビを組んでお笑いの道へ

サマージャンボ鶴田さん
「青森ねぶた祭を観てる時に、もう一回お笑いやろうという話になって、そこで東京へ行こうという事になって会社を辞めて、21歳の10月に東京出てきました。
しゃべくり漫才に近いような芸でした」
お笑い事務所の養成所に入り、高校のラグビー部のメンバーだった友達の家に2人で居候。アルバイト生活をしながらネタを考える毎日だったが、なかなか実らず仕舞いだった。
サマージャンボ鶴田さん
「10年前は、養成所を卒業したら事務所に所属かなと思っていたら、オーディションを受けてくださいと言われて」
約3年でコンビは解散。ピン芸人として新たな養成所へ。


サマージャンボ鶴田さん
「3年やってれいれば、多少お笑いの知識が入ってくるわけじゃないすか。そうするとお互いのやりたいお笑いが違ってきたりしますよね。ほぼアルバイトばかりなのですが、お金を何とか貯めてホリプロの養成所に通いました」
『ラグビー二郎』というラグビーネタのピン芸人として約5年所属した後、ホリプロを独立したマネージャーが起ち上げた事務所へ。

そこで鶴田さんは、事務所の先輩に連れて行かれ、お笑いプロレスに出会う。














