「私が遠因死を招いた」母の自死に大きな後悔 悲劇を減らすため…経験を語る覚悟
神戸市東灘区で被災した山下准史さん(64)は当時、市内の小学校で教諭を務めていた。

地震で、自宅近くにあった実家が全壊。母の芙美子さんはなんとか脱出したものの、父の金宏さんが帰らぬ人となった。
山下准史さん
「(火葬場で)最後に棺を入れる時に、本当に自分もそのまま中に入っていこうとするんじゃないかというぐらい、泣きながら、叫びながら『お父さん!お父さん!』言いながら、棺にすがるようにしていた。『もうあかんよ』って言って止めましたね」
「『お父さんと一緒に逝きたかった』と、たまに口開くとそれしか言わなかったですね」
打ちひしがれる芙美子さんに、思わず強い言葉をかけてしまったことを山下さんはいまでも後悔している。

山下准史さん
「周りの人も気にして下さっているのに、『一緒に逝きたかった』みたいなことをずっと言うから、『そんなん言うな』と。『せっかく助かってんやから、もう言うな』と、つい言ってしまうぐらい」
――父の死の喪失感があった一方で、“母は生き残ってくれた”という思いはあった?
「強かったですね。遺体安置所にいる時間って、“自分らは生き残れたんやな…”というか、嬉しい気持ちでも何でもないけど、たくさんの遺体の中で過ごす時間が、“自分は(生き残れて)ラッキーだった”と感じる時間帯でもあったから、そこに一緒に母もいましたからね。当然同じ感覚かなという軽い気持ちもあった」
「『一緒に逝きたかった』というのを、もっと、もっと真面目に聞いとかないといけなかったなというのは、その後しばらくは私の中ではすごく大きな後悔になったので」
山下さんは神戸に残り、母・芙美子さんは大阪の親族の家に避難した。
しかし、地震から5か月が経った6月17日、芙美子さんは行方不明となる。翌日、山下さんは警察から、神戸で遺体が見つかったと告げられた。

芙美子さんは、大阪から神戸へ向かい、自ら命を絶っていた。
自責の念にかられた山下さんは教師として、学校で子どもたちにかける言葉にも苦悩するようになった。

山下准史さん
「簡単な言葉に直すと、『命を大切にせなあかんよね』みたいなことをやっぱり喋ってますよね。ところが、“そういうあんたは、大事な人の命を大切にしてなかった”と言われるかなというのがすごくあって、使わなくなりましたね。使えなくなりました。“私たちは震災で無事におれたんだから、命大切にしようね”みたいな言い方は、全くしなくなりましたね」
“このままでは自分が壊れる”と感じ、海外の日本人学校への教員派遣に応募。一度神戸を離れる決断をした。
派遣先のイランで長男が誕生し、喪失ばかりだった人生に光が差した。
帰国後、神戸の小学校に復帰し、震災について冷静に話せるようにはなったが、母・芙美子さんの最期が自死だったことだけはほとんど語ってこなかった。
それでも今、同じような悲劇を少しでも減らすために自らの経験を語る覚悟でいる。

山下准史さん
「自分に対して、逃げてきた部分があったので」
「“防げる遠因死を防ぐ”ことも含めた復旧・復興をみんなで考えていかないと、本当の意味で教訓が生きていかないのかなという気がしていて」
「私が遠因死を招いたと思っていますからね。そういうことは防いでいかないといけない、防いでいきたいな。防いでいっていただきたいなって」














