肺がんのため81歳で死去した、フリーアナウンサーの久米宏さん。
司会者・エッセイストの楠田枝里子さんが、自身のインスタグラムを更新し、追悼のメッセージを綴りました。
楠田枝里子さんは、日本テレビの番組「おしゃれ」で、久米さんと共演していました。
【 楠田枝里子さん インスタグラムより引用 】
訃報が、飛び込んできました。
久米宏さんが、亡くなられました。
新年の1月1日という日を選ばれたのも、最後に大好きだったサイダーをぐっと飲み干して逝かれたのも、久米さんらしい旅立ちであったなあ、としみじみ感じ入っています。
私がまだ20代で、日本テレビのアナウンサーだった頃、「おしゃれ」というインタビュー番組で、ご一緒しました。
久米さんの仕事を、すぐそばで学ばせていただけたことは、なによりの幸運だったと、感謝するばかりです。
そのスピード感、絶妙な間の取り方、鋭い切り込み方、一瞬で場の空気を転換する鼻の鳴らし方、などなど。
毎回、鮮やかな話術に感嘆し、ただただ勉強させていただく日々でした。
久米さんが、「ニュースステーション」を始められて、少しして、とあるインタビューを目にしました。
キャスターとしての姿勢について問われた彼は、きっぱりと、こうおっしゃったのです。
「いえ、ボクは、キャスターじゃありません。司会者です」
この発言に、大きな衝撃を受けました。
プロの司会者という仕事の奥深さ、フィールドの広さ、途方もない魅力・・・。
その後、私も、「司会者」としての仕事を追求したい、と考えるようになったのです。
放送というメディアの中での立ち位置を、私なりに見い出した思いでした。
久米さん、ありがとうございました!!
勿論、私など足元にも及びませんが、偉大な先輩として、久米さんはいつまでも頭上に輝いています。
「あっ、そう。 そんなこと言われたってさ!」
と久米さんは、笑い飛ばして、鼻を鳴らしているでしょうけれど。
【 楠田枝里子さん プロフィール 】
司会者、エッセイスト
1月12日、三重県伊勢市に生まれる。
東京理科大学理学部を卒業。
日本テレビにアナウンサーとして入社し、「おしゃれ」の司会等で注目を集める。
一方で絵本の研究・創作活動にも力を注ぎ、多くの出版物を手がけた。
日本テレビを退社し、独立した後、本格的な海外情報番組の先がけとなった「なるほど・ザ・ワールド」(フジテレビ)の司会で人気を博する。
同時期に、最初の科学エッセイ「ロマンチック・サイエンス」がベストセラーとなり、続いて「不思議の国のエリコ」「気分はサイエンス」等、科学エッセイの新分野を開拓。
その後も、「ナスカ砂の王国」「ピナ・バウシュ中毒」「チョコレートの奇跡」など、ノンフィクション、エッセイ、絵本などの著作活動を続け、これまでに35冊を出版した。
司会者としても高い評価を受け、「世界まる見えテレビ特捜部」(日本テレビ)「FNS歌謡祭」(フジテレビ)などで活躍。
現在も、意欲的に仕事を展開している。
また、南米ペルーの遺跡「ナスカの地上絵」研究の第一人者マリア・ライヘを支援するため、「マリア・ライヘ基金」を設立。
貴重な世界遺産の研究と保護活動に、尽力した。
今世紀に入ってからは、チョコレートの健康効果についての科学的研究や、カカオの歴史・文化、ショコラティエの世界などを情熱的に探究し、日本の高カカオチョコレート・ブームをリードした。
2016年、17年、「サロン・デュ・ショコラ」ショコラ・アンバサダー。
2022年、大阪あべのハルカスにて、チョコレートイベント「ショコラ・エ・ショコラ」をプロデュース。
【 久米宏さん プロフィール 】
生年月日:1944年7月14日
出身地:埼玉県
1967年、早稲田大学政経学部卒業し、TBSに入社。テレビでは「ぴったしカンカン」「ザ・ベストテン」、ラジオでは「久米宏の土曜ワイド ラジオTOKYO」などの番組を担当し、人気を博す。
1979年:TBSを退社。フリーに。
フリー転身後は、日本テレビで「おしゃれ」(1980年~1987年)、「久米宏のTVスクランブル」(1982年~1985年)を担当。
そして、1985年から、テレビ朝日で「ニュースステーション」のメインキャスターを2004年までつとめるなど、テレビ史に残る活躍をしました。
【担当:芸能情報ステーション】














