■「説明責任」の重み
「説明責任」・・・国会でこの言葉を何度耳にしてきたことだろうか?
声の主はもっぱら、岸田総理だ。ことし8月に内閣改造を行うも、これまでに3人の大臣が不祥事で次々と辞任に追い込まれる事態に・・・。

①旧統一教会との接点が立て続けに発覚するなど、疑惑が“底なし状態”の中、曖昧な答弁を繰り返した山際(前)経済再生担当大臣。
②「死刑のはんこを押す時だけニュースになる地味な役職」などと発言した葉梨(前)法務大臣。
③政治資金規正法を所管する立場でありながら、自らが「政治とカネ」の問題で追及された寺田(前)総務大臣。
そんな彼らは、岸田総理が強調する「丁寧な説明責任」を全うすることなく、「辞任ドミノ」の実績だけを置き土産にした格好だ。そして大臣の座をおりてからも、彼らが公の場で「丁寧な説明責任」を果たした様子は見られない。
いったい、「説明責任」の重さをどうとらえているのだろうか?
この疑問を投げかけたい相手は、彼らだけではない。
■笛吹けども踊らず
安倍元総理が銃撃され死亡した事件をきっかけに、次々と明らかになった「国会議員と旧統一教会や関連団体とのつながり」。

ことし8月、CBCは、東海地方の国会議員51人に独自のアンケートを実施した。
「旧統一教会や関連団体のイベントに出席したことがある」「祝電やメッセージを送ったことがある」など、何らかの接点があった議員は14人。
ここで私が注目したのは、調査の結果よりも、接点があった議員らがこの問題に対して今後どう向き合い、どのような説明をするのか?という点であった。
当時のアンケート調査では、51人のうち「無回答」の議員が3人、このほかには『個別の問合せには応じられない』とする「回答欄が未記入」の議員が3人いた。いずれも自民党所属の議員だ。


『回答しない(できない)』という彼らの姿勢は、「旧統一教会と政治のつながりについて“議員本人が説明すべき”」との岸田総理の考えとは真逆であり、まさに“笛吹けども踊らず”の状態といえよう。
■「正直者」が損をする!?
そしてことし9月、自民党は所属国会議員と旧統一教会や関連団体との接点確認の結果を公表。

この時に、私が取材した東海地方の自民党国会議員のうち、数名がこんなことを口にしていた。
【A氏】「自分は正直に党に報告したが、頬被りしている議員もいる。これは許せない。」
【B氏】「関わりがあった他の議員にもきちんと取材すべき。私だけを取材するのは不公平だ。」
【C氏】「正直者(の国会議員)だけが損をする。」
など、、、まるで恨み節のような不満の声だ。
彼らによれば「自己申告の調査だから、黙っていても問題ないだろう」とシラを切る議員が一定数いるのだという。「だから自分だけ取材を受けるつもりはない。」という理屈だ。
また、ある議員はこんな見立てをしていた。
【D氏】「このニュースもいずれ国民は聞き飽きてくるはずだ。安倍さんの国葬儀さえ終われば一気に静まるだろう。」
まさに「喉元過ぎれば熱さ忘れる」という考えだったのだろうが、現実には今もこの問題は続いている。


私たちの取材に対し、決して逃げることなく誠実に応じた議員もいれば、ノーコメントを貫く議員などスタンスは実に様々。
とりわけ「正直者だけが損をする」などの怒りをあらわにした議員らの気持ちも個人的には分からなくもない。
しかし、改めて「政治家の説明責任」の重さを考えた時、国会議員という公人であるならば、その理屈は世間にはまかり通らない。そもそも“正直であること”が当然であり、社会の掟だからだ・・・。
