「千羽折ったら元気になれる…」少女は病室で折り続けた
原爆の後遺症による白血病を発症した禎子さんは、終戦から10年経った1955年10月に亡くなりました。12歳でした。
苦しい闘病生活の中、救いとなったのが病室に届いた千羽鶴でした。

「自分も千羽、鶴を折ったら元気になれる」と、禎子さんは病室で鶴を折り続けたといいます。…この千羽鶴を贈ったのは、名古屋の女子高校生たちでした。


原爆の後遺症による白血病を発症した禎子さんは、終戦から10年経った1955年10月に亡くなりました。12歳でした。
苦しい闘病生活の中、救いとなったのが病室に届いた千羽鶴でした。

「自分も千羽、鶴を折ったら元気になれる」と、禎子さんは病室で鶴を折り続けたといいます。…この千羽鶴を贈ったのは、名古屋の女子高校生たちでした。







