誰かの死から得る教訓

小春日和の下で、乾いた風に吹かれながら、埋葬されて眠るBを私は見ていた。私たちはいつも、誰かの死から何かを学ぶ。ストーカー規制法も、犯罪被害者基本法も、被害者の訴えがあったからこそ実現した。こんな悲しい思いをするのは自分で最後にしてほしいと。だからこそ新たな被害者も加害者も出さない努力を続けなければならない。たとえ加害者であっても、その死から得られる教訓はある。

遺棄現場近くの菩薩像 現在も花束や飲み物が手向けられている 去年12月撮影

【取材・構成】HBC山﨑裕侍
この記事を書くにあたって心に決めたのは、事件や加害者をセンセーショナルに書き立てないことだった。
加害者の「償い」「更生」という最も共感しにくい、しかし重要なテーマだ。
世間の反応は予想できた。だからこそ、異質なものを排除する近年の風潮に、事件取材をしてきた者として抗すること、あるいは問いを立てることが自分の役割だとも思った。
もう一つ伝えたいことがあった。タイパ・コスパ・切り抜き・アテンションエコノミーが氾濫する現在、オールドメディアの存在意義である。
記事の反応は想像を超える大きな波となって、私を飲み込んでいる。

※この記事は書籍化されます。
『償い 綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件 6人の加害少年を追って』
(文芸春秋刊 1,980円 2026年1月7日発売)

【関連記事】
「女子高生コンクリ詰め殺人事件」準主犯格Bの孤独な最期 3年前51歳で自宅トイレで…加害者の“その後”から矯正や社会での処遇を考える(シリーズ1話)
51歳で孤独死した準主犯格Bの再犯の背景…義兄「普通ではない」更生を妨げた妄想「女子高生コンクリート詰め殺人」加害者の“その後”

▼事件や加害者などに関する情報はこちらまで。
ayasejikeninfo@gmail.com