「とにかく勉強しろ」独学で叩き込んだ朝鮮語

拉致された当初、地村さんは現実を受け入れられなかったという。

北朝鮮 水田で農作業をする農業勤労者(1997年撮影)

地村保志さん「最初は本当に夢の中でした。1週間ほどは『夢見てるんじゃないか』と。でも朝起きると天井がいつもの部屋とは違う。だんだんと現実味を帯びて、やっぱり拉致されたのか、という思いになっていくんです」。

現実を突きつけられた地村さんに強いられたのは、朝鮮語の学習だった。

北朝鮮が日本人を拉致した理由は明らかになっていない部分も多いが、主な目的は、北朝鮮工作員を日本人らしく振る舞わせるための教育係にさせることだったと考えられている。地村さんに課せられた学習も、まさにそのための準備だったといえるだろう。

地村保志さん「とにかく朝鮮語を勉強しろっていうんですね。だから大学校の留学生の教科書と辞典だけをもらって独学で勉強しました」

外部の人との接触は禁じられ、テレビや新聞を頼りに言葉を覚える日々。1年ほどで読み書きや聞き取りはできるようになったが、23歳を過ぎてからの勉強では、発音だけはどうしても北朝鮮の人のようにはなれなかった。

また、地村さんが富貴惠さんと離れ離れになっていた間には、ある招待所で、同じく拉致被害者であり、のちに共に日本へ帰国することとなる蓮池薫さんと出会い、生活を共にする期間もあったという。