「お父さん何言ってんの」「お前こそ何言ってんだ!」実名公開めぐる衝突
めぐみさんが拉致されて20年後の1997年、家族会が結成された。
当時はまだ「拉致疑惑」という扱いで、テレビに出る有識者や大学教授は「拉致事件なんて存在しない」と堂々と言っていた。
街頭で署名活動をしても、多くの人が通り過ぎて振り向くこともなかった。
署名をお願いする画板を叩き落として通り去る女性もいた。
同じ97年、政府機関や報道機関から「横田めぐみ」という実名を挙げてよいかどうか打診があった。
拓也さんと哲也さん、母・早紀江さんは実名公開に反対だった。
もし実名を挙げると、北朝鮮が「そんな女はいない。殺せ」と言ってめぐみさんが殺害されるのではないかという恐れからだった。
父・滋さんは違った。
横田拓也さん
「『そんなことは覚悟の上だ』『めぐみが拉致されてから20年間何か前進したのか』と。『実名をあげないと世論を振り向いてくれない。国民に賭けなきゃダメなんじゃないか』『新潟県のYさん、Mさんでは誰も振り向いてくれない。寄居中学校の下校途中の13歳の横田めぐみが拉致されたんじゃないかってことを言わないと認識してくれない』」
家族の会議というか喧嘩になった。「お父さん何言ってんの?」「お前こそ何言ってんだ!」
母がどれだけ心の底から納得したかは分からないが、最終的には父の判断を優先した。
97年にめぐみさんの名前が上がった。
世論が初めて拉致事件を知った瞬間だった。
横田拓也さん
「今となってはこの拉致事件のシンボル的な、特に13歳っていう女の子ってこともあって、シンボル的な存在になって日本国内はもちろん国際社会でこの問題が重大な人権問題だっていうことが取り上げられたのは父の英断だと思います」
だが、当時はもしかしたら違う判断があったかもしれない。
本当にギリギリの判断の中で生活している。
横田拓也さんの講演は全4回の連載です。
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