遅すぎた初動 黙殺した報道 29年後の対策本部設置

北朝鮮の風景(2013年)

当時、北朝鮮という国がどんな国かは、横田家全員を含めて分かっていなかった。
「朝鮮民主主義人民共和国」と丁寧に丁寧に扱っていた時代だった。

横田拓也さん
「この事件が起きた直後に報道機関、政治、外交、警察、私たちの国民世論がもっと強く向き合ってくれていれば48年、50年という重くて苦しい荷物は、背負わなくて良かったんじゃないかなと思います」

首相直轄の拉致問題対策本部が設置されたのは、めぐみさんが拉致された29年後の2006年9月だった。

横田拓也さん
「もう遅すぎるんですよ。何をやるにしても事件は初動が大事だね。もうどの事件のケースとも言われてると思うんですよね。29年後に設置しても加害者の人間や情報や物的なものも、何もかもあるかないかも分からないぐらい時間が経過しているんです。これが日本政府の実態ですよ」

さらに、1988年3月26日、めぐみさんが拉致された10年後、当時の国家公安委員長・梶山静六さんが国会の参議院予算委員会で北朝鮮による拉致の疑いが濃厚であると発言したにもかかわらず、その報道を取り上げたのは日経新聞と産経新聞の2社だけだった。
他の報道機関は黙殺した。

横田拓也さん
「報道しないってこと。私たち国民が知る権利がなかった。知る権利がなければ怒るにも怒れなかった。この報道機関の黙殺した現実っていうのは消せません。私はここの話では報道機関の方が何十人何百人でも同じことを毎回言ってますけどもこの責任はものすごく大きいと思います」