両手で数えるくらいしか残っていない母の写真

母・曽我ミヨシさんに抱かれる 幼少時のひとみさん

ある年の夏、盆踊りに行くことになった。
友達はみんな浴衣を着ていくというので、羨ましいと思う気持ちと仲間外れになりたくないという気持ちが同時に湧いてきた。
母の都合など考えもせず、「盆踊りに友達はみんな浴衣で行くって言うから、私も浴衣着たい。祭りの日までに浴衣を縫って」とわがままを言った。
母が和服の裁縫が得意だったのを知っていたからだ。

それなのに文句も言わず、母は夜なべをして浴衣を縫ってくれた。
出来上がった浴衣を見て喜ぶ曽我さんには、その時の母の気持ちを考えることなどなかった。

曽我ひとみさん
「今思い出しても、本当に母には無理ばかりさせたなと反省と感謝の気持ちでいっぱいです」

あの頃の母は毎日どんな気持ちでいたんだろうと思うことがある。
生活に追われ働き詰めの毎日で、おしゃれの一つもできなかった。
集落の付き合いや職場の付き合いなどもあっただろうに、数えるくらいしか出かけることもなかったと言っていた。

そのせいばかりではないだろうが、曽我さんの知る限りでは母の写真は両手で数えるくらいしか残っていない。

曽我ひとみさんの講演は全5回の連載です。
「ここは北朝鮮という国だ」連れ去られたのは聞いたこともない国…拉致被害者・曽我ひとみさんが語った"母と引き裂かれた47年前の恐怖"【全5回連載①】
「いつもニコニコとあの可愛らしいえくぼを見せていました」拉致被害者・曽我ひとみさんが語った横田めぐみさんとの8か月【全5回連載②】
「このまま一生を終えるのか…」拉致被害者・曽我ひとみさんが語った絶望と希望 24年間の北朝鮮生活で支えになったもの【全5回連載③】
「どうせ今度もダメだろうな…」日本の政治家に抱いた淡い期待と寂しさ。拉致被害者・曽我ひとみさんが帰国23年で語った胸中【全5回連載④】
「『ただいま』『おかえり』を言いたいだけ」拉致被害者・曽我ひとみさんが訴えた47年越しの願い 母との再会「長くは待てない」【全5回連載⑤】