工作員との生活 騙され続けた24年
この時から日本語を話すおばさんとの生活が始まった。
この女は後に国際指名手配されたキム・ミョンスクという工作員である。
拉致を実行した犯人と結婚するまで一緒に暮らしていたのだ。
曽我ひとみさん
「この工作員のおばさんは日本語を話すと言っても、あらゆる意味を理解しているわけではなかったのです。不慣れな土地で意思の疎通もままならないこと、細かい部分での理解がお互いできないこと、見るもの、聞くもの、全てが理解不能な状態で、『これからどうなってしまうんだろうか』という不安と、ひとりぼっちの寂しさに気も狂わんばかりの毎日でした」
曽我ひとみさんの講演は全5回の連載です。
「ここは北朝鮮という国だ」連れ去られたのは聞いたこともない国…拉致被害者・曽我ひとみさんが語った"母と引き裂かれた47年前の恐怖"【全5回連載①】
「いつもニコニコとあの可愛らしいえくぼを見せていました」拉致被害者・曽我ひとみさんが語った横田めぐみさんとの8か月【全5回連載②】
「このまま一生を終えるのか…」拉致被害者・曽我ひとみさんが語った絶望と希望 24年間の北朝鮮生活で支えになったもの【全5回連載③】
「どうせ今度もダメだろうな…」日本の政治家に抱いた淡い期待と寂しさ。拉致被害者・曽我ひとみさんが帰国23年で語った胸中【全5回連載④】
「『ただいま』『おかえり』を言いたいだけ」拉致被害者・曽我ひとみさんが訴えた47年越しの願い 母との再会「長くは待てない」【全5回連載⑤】














