赤信号でクレーン車が突っ込む

母・佐藤早織さん:
「(翔樹は)あの日の朝、一度行ってきますと言って家を出た後、自宅にすぐ戻ってきた、忘れ物かなと思ったが、忘れ物ではなく何も言わず、また行ってきますといって登校していきました。それが虫の知らせと思ったのは後のことで…、それから15分後に小学校から電話が入りました」

翔樹くんが事故に遭ったと電話が入り急いで向かったのはいつもの通学路。
【当時の事故現場2000年7月7日仙台・太白区泉崎一丁目】

母・佐藤早織さん:
「交差点に行ったら学校の先生がいて、学校の先生に『翔樹はどこですか』と聞いたら、交差点を指さしてそのままもうって…、大量の血液が流れてブルーシートがかぶされていて確認できなくて、その下に翔樹がいるのかなってわからくて…」

翔樹くんをはねたのは、クレーン車でした。信号の変わり目でスピードを落とさないまま進み、赤信号で交差点に突っ込んだのです。翔樹くんは、青信号の横断歩道に一歩踏み出したところでクレーン車にはねられました。タイヤは背丈を超えるほどの大きさでした。