白石さんは1996年に他界していますが、このほど、娘の山岡京子さんが取材に応じてくれました。

◆娘・山岡京子さん
「母は主婦だったので、執筆ばかりしているわけにもいかないので…。夜とかに1人で書きながら、私に『こんな言い方わかる?』とか聞いていました」
京子さんによると、白石さんには「物書きになりたい」という夢があり、40歳ぐらいの時から、趣味で創作活動を始めたといいます。
最初に書いたのは「雲の製造工場」という、戦争とは無縁のポエム。「戦争」というテーマは、白石さんの作品に突然登場することになりました。娘の京子さんも、「母がなぜ『戦争』を作品のテーマに選んだのか、聞いていない」と振り返ります。
◆作品中の台詞(一部抜粋)
「あついよう、ああ、苦しい…。目も、耳も、口の中も煙でいっぱいや...」
「あの人は、壕の中で蒸し焼きになったがやろうねぇ…」
「どうして、こんな目に遭わんといかんのやろか...」
娘の京子さんに「こんな言い方わかる?」と聞きながら、言葉を紡いでいった白石さん。生々しさもありながら、童話として子どもたちにも伝わるよう、表現を試行錯誤していた様子が伺えます。
そして完成した「青いブローチ」。そこに書かれていた物語、つまり白石さんの実体験は、概要だけを読んでも壮絶なものでした。














