憧れの強い男への道

吉田直輔さん
「高校では最初、柔道クラブに入ってたんです。部員が3名で。その隣でレスリング部が練習をやっていまして、レスリング部の先生から、『レスリングやってみないか』ということで頻繁に声を掛けていただいていたんですね。それは、私の柔道のプレー姿を見て声をかけていただいたということだったんですけれども、そのレスリング部の宍戸先生には本当に感謝してます」

入部早々レスリングの才能が開花し、東北地域で優勝、全国大会ベスト8の成績を残した。3年で主将を務めた吉田さんは高校卒業後上京し、自衛隊体育学校のレスリング班に所属。


吉田直輔さん
「自衛隊体育学校ってオリンピックを目指す国の施設がある場所なんです。僕のその時の勝手なビジョンは、レスリングで全日本優勝か世界大会に出場、オリンピックに出場、その後にプロの格闘家になろうと…」
全日本チャンピオンを倒すなど結果を残したレスリング人生は4年で一旦終了し、小さい頃から憧れていた格闘家の道へ

吉田直輔さん
「プロの格闘家時代は、4戦して3勝1敗でした。結構アマチュアで成績が良かったんで、デビュー戦ですごい良い選手をあてていただきました」

しかし上り調子だった時期に、格闘家に区切りをつける。
それは、偶然知った自身の体の異常だった。
吉田直輔さん
「格闘家の脳を診るというイベントがあって、そこでたまたま自分の脳を診てもらった時に、医師に『脳に水が溜まっている』と言われたんです。生きるか死ぬかのリングで、そういう想いで戦えないんだったらプロとしては無理だなと思った。その時に辞める決意をしました」
格闘家時代にやっていたパチンコ店でのアルバイト。その店に来ていた自衛隊体育学校時代のフィジカルトレーナーに声を掛けられ、新たな道へ。















