行きの空港で0人だったファン 帰りの空港で400人に爆増!
岸)優勝後の変化は?

鮫島)優勝は一つの大きな転機でしたね。ワールドカップへの行きの空港はファンの方「ゼロ」で、報道陣も10人くらいでしたかね。でも帰りはファンの方が「400人くらい」一気に環境が変わって、その年のリーグもファンが2万人来てくださる試合もあったりとか。ただ14年経った今は、一過性のものに終わってしまったというか…。もちろんサッカーをやる子どもたちも増えてくれたんですけど、やっぱりそれを継続してもっと広げていきたいですね。
震災後、一度も戻れていない福島の住まい
岸)2011年のワールドカップは東日本大震災の3か月後でした。福島県のチームでプレーされた鮫島さんの心境は?
鮫島)日本中が大変な状況の中で、日本の方々がすごく興味を持って応援してくださってるっていう印象があったので、開催地ドイツで自分たちが頑張って戦わなきゃなみたいな思いは、より一層強くなった記憶があります。震災のときは福島県内で寮生活だったんですけど、たまたま合宿に行って離れていたんですが、原発から3キロ圏内で海も近くて震災後、一度も私は戻れてない。実際に揺れは経験してないんですけど、所属チームはすごく地元に愛されたチームだったので、そういう方たちが被害に遭われてるっていうのがねすごく心が痛かったです。














