
変わっていくまちの景色に赤﨑さんも複雑な思いです。
(赤﨑正博さん)「昭和の初めの建物だったと思うと、残してはほしいが、持ってる人にとってはかなりの負担ですよね。だから、仕方がないとしか言いようがないな」

赤﨑さんは天文館近くにある「知覧茶屋」の店主です。父親が戦後始めた店を19歳で継ぎました。

昭和40年代のピーク時には年間2億円を売り上げたこともありましたが、現在は20分の1以下に。子どもたちは県外などに就職し、後継ぎはいません。

(赤﨑正博さん)「たくさん従業員がいたが、今は夫婦でやっている。(子どもに)継いではほしいですね、やっぱり。鹿児島で70年以上になるので。今100年続く企業も同じ店舗・業態でも、中の内容をどんどん変えていって、生き残っているから長生きするのではないか。
誰かに(店を)売ってしまって、有効的に活用することになるかもしれない。
分からない、今のところは」














