「『過去の大惨事』ではなく、日常生活の中で時折何かを語りかけてくる、そんな存在に変わった」報道記者が寄せた言葉

この本のもうひとつの大きな特徴は、小椋さんや只野さんを継続して取材してきた報道記者らや、脱線事故の遺族の支援に携わってきた弁護士などが、多くのコラムを寄稿している点だ。それらのコラムでも、『どう生きるのか』という問いが軸として貫かれている。
取材者としての苦悩や決意が、飾り気のない実直な言葉で綴られていて、同じ報道機関に身を置く者として、ハッとさせられたり心が震えたりした場面も多かった。
「ありきたりな言葉に相手の気持ちを置き換えていないか、今も自問する。交流が続き心を許してもらえたと思っていた遺族の突然の拒絶に、『共感できた』『配慮をしている』と考えていた自分のおこがましさが情けなかった」
「自分が放送で出せているのは何だろうか…。伝えていたのは『安全』『思い』『風化させてはいけない』などの決まり文句。自分たちの報道は果たして次の事故を防ぐことにつながっているのか。『つながっていない』と思うようになった」
「単なる挨拶でしかなかった日常の一コマが、大切だと思える瞬間に変わった。当たり前は当たり前ではないという事故の一つの教訓が、自分の生活の中に生きるようになったのだと思う。いつのまにかJR福知山線脱線事故は、単なる『過去の大惨事』ではなく、日常生活の中で時折何かを語りかけてくる、そんな存在に変わっていった。きっとこれからも、毎日を大切に生きるとはどういうことなのかを問いかける存在であり続けると思う」
「もともとの自分の性格か、長年の記者生活で習い性になったのか、私は人間の暗い面を見がちだった。それが、人間は弱い存在だが、それをしのぐ強さを持っていると教えられたことで、人間の明るい面にこそ目を向けたいと考えるようになった」
「これまで以上に困難な事故や災害に直面したとき、人間の強さを信じ、明るい面に目を向けられるだろうか。そんな人間、そして、記者であれるよう、一日を一生として、きょうを生きたい」
本の執筆者の1人である福田裕子さんの言葉を借りるなら、この本を読み、共に考えることは、まさに「『特別』に成らざるを得なかった特別ではない人々の発する経験を通して」「想像力のバリエーションを1ページずつ増やして」いくということなのだと思う。取材分野にかかわらず、報道関係者も手に取るべき1冊だと感じる。
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