10年以上にわたり、平和ガイドの活動に取り組んでいる金城さん。取材の日は、精光さんが所属していた「独立高射砲第27大隊」の本部壕跡(糸満市大渡)を案内してくれた。遺骨収集が進み、平坦だった地面が掘り起こされていた。
総勢574人で編成された「独立高射砲第27大隊」は、米軍との激しい戦闘を繰り広げた末、約8割にあたる464人が戦死した。
「極限状態を味わったんだろうなと思うね。今にも火炎放射器で焼かれるか、今にも手榴弾を投げ込まれるか。そういう状態だったと思います」
過酷な戦場で、精光さんは何を見たのか。生前、戦争の話をすることはほとんどなかった父親の足取りを追うと、悲惨な沖縄戦の現実があった。
戦後も体験者の心の奥に留まり続ける、戦場の記憶。金城さんは、父親を変えた沖縄戦と向き合いながら、平和を願い続けている。
「戦争をしないこと。そういう風土をつくらないということ。戦争がうちの父みたいなものをつくりだす。家庭を不幸に陥れる。まずは戦争をしないこと」
戦後80年の時を経て、語られ始めた「戦争トラウマ」。心の傷によって、戦争を過去にできず苦しみ続ける当事者や家族がいる。ようやく語られ始めたその事実を伝え社会全体でこの問題を考えていく必要がある。













