「もはや完落ちするだろう」広がる諦念と検察の執念

しかし、事態は刻一刻と動いていた。

1997年10月21日、東京地検特捜部はついにH元常務を、総会屋・小池隆一への利益提供による商法違反および証券取引法違反の容疑で逮捕し、身柄を東京拘置所へ移送した。
猪狩は約束に従って、正式にH元常務の「弁護人選任届」を提出した。

逮捕の前日、猪狩はHに、「総会屋・小池隆一への利益供与をした事実がないこと」を主張する「上申書」を東京高検検事長・濱邦久宛てに提出させていた。
しかし、そうした意見表明も、気持ちの揺れやすいHには結局、何の助けにもならなかった。

逮捕直後、東京拘置所でHと接見した猪狩は、妻からの激励の言葉を伝えて励ました。だが、Hの表情はすでに憔悴しきっていた。

猪狩の胸に、不安がよぎる。

「Hの妻は“薩摩おごじょ”と呼ばれる剛毅な精神の持ち主だった。それに比べ、Hは話が揺れやすく、腰が据わっていない。検事の取り調べに耐えられるだろうかーー」

その不安は、やがて現実のものとなる。

Hの取り調べ担当検事は、松井巌(32期)から若手の黒川弘務(35期)へ交代していた。
黒川は、総会屋事件で野村証券総務部幹部から「総会屋にジュラルミンケースで現金3億2000万円を渡した」という核心の供述を引き出したばかりの、特捜部の若手エースだった。その取り調べは、筋を外さない理詰めの正攻法だった。

逮捕から4日後の10月25日、Hは猪狩にこう漏らした。

「猪狩先生、日興証券の弁護士を加えて、タッグを組んで弁護をやっていただけませんか。株主代表訴訟が来たら、会社の助けがなければ私は泥沼になります」

この時すでに、Hは次のような供述調書を取られていた。

「わたしは上司の副社長から『大事な客の面倒を見てほしいと言われて了承した。聞いてやってくれないか』と言われました。相手は総会屋だと思いました・・・」

さらに10月27日の接見で、Hはこう訴えた。

「私ひとりががんばると、会社の共犯者全員を敵に回すことになります。とても耐えられません。住宅ローンなど、2億数千万円の借金で、破産への道を走ることになってしまいます。黒川検事からは『あなたの付け替えによって利益を供与したという事実だけ認めればいい』と言われました。供述は今日がタイムリミットなんです」

その言葉を聞いた瞬間、猪狩は悟った。

――Hは、もはや完落ちするだろう。

胸の奥に、どうしようもないあきらめが広がっていった。

ちなみに、H元常務夫妻は金子社長との会談にテープレコーダーを忍ばせていた。
夫妻の狙いは、仮にHが取り調べに耐えきれず、意に反する「自白調書」に署名させられたとしても、この録音を公にすることで「自白調書」の信用性を崩すことにあった。

しかし、検察が一枚上手だった。
面会の内容は金子社長から日興証券の弁護団に報告され、ただちに東京地検特捜部へ伝えられた。日興証券上層部は、弁護団の方針に従い、検察に全面降伏していたのである。

金子社長からの報告を受けた特捜部は、H元常務夫妻が金子社長に対し、容疑を認める条件として金銭を要求していた点に注目する。
「これは脅迫未遂容疑にあたるのではないか」と見て、一時は立件を検討したという。

だが、特捜部はまもなくH元常務を商法違反、証券取引法違反で逮捕したため、脅迫未遂容疑が事件化されることはなかった。

東京地検特捜部による日興証券本社への家宅捜索(1997年10月)
新井議員宅の家宅捜索に入る黒川弘務検事(35期)(左)