新井を追い込んだ「能天気といっていいアドバイス」とは

新井将敬衆院議員の顧問役の弁護士を務めていた猪狩俊郎は、新井との出会いを自著の中でこう記している。

「テレビ討論会で政治改革の志士として、当時、茶の間の絶大な人気を得ていたように、会って見れば凛とした容貌にやや愁いを帯びた表情ながら、弁舌さわやかで好感の持てる人物だった。それまでどのような政治家にも大なり小なりインチキ臭さを抱いていたのだが、そうした私の先入観を払拭してくれるような印象だった」

山王飯店での初対面の翌日、新井は早くも猪狩の「一番町総合法律事務所」を訪ね、ある相談を持ちかけた。

「東京地検特捜部から資料の提出を求められましたーーそれは、親族が主催し、自分も支援している『B&Bの会』という、通信衛星ネットワークを活用した事業を研究する会と、親族が経営する投資会社『ヴォーロ』の資料です」
「古くからの知り合いで元女性検事のA弁護士のアドバイスに従い、自分の証券取引履歴などの資料をすべて提出してしまいましたが、今後、特捜部がどのような対応をしてくるのか見当がつきません」

これを聞いた猪狩は、思わず言葉を失った。
新井はA弁護士から「悪いことをしていないなら、資料をみんな出したほうがいい」と軽く言われたという。特捜部の捜査のやり方を熟知した猪狩の目から見れば、A弁護士の助言は信じがたい対応だった。

「一度標的を定めたら逃さないーーそれが当時最強といわれた熊﨑特捜。捜査の締めくくりには、巨悪の象徴とされる『議員バッジ』(国会議員)を摘発し、一連の捜査を完結させる。これが当時の特捜部の捜査スタイルだった」
「そう考えれば、総会屋・小池隆一、4大事件の捜査が佳境を迎える中で、特捜部が衆院議員の新井に『資料の提出』を求めたのだから、新井自身が特捜部のターゲットになりつつあることは明らかだった」(猪狩)

新井にとって、それは命取りになりかねない重要な局面だった。提出した資料の中には、新井がやがて「利益供与要求罪」に問われることになる日興証券での株式の取引資料が入っていたからだ。

特捜事件の経験もないA弁護士による的外れで楽観的な助言が、結果として新井を不利な立場に追い込んでいったのである。

「新井が特捜部の捜査に熟知していないA弁護士に最初に相談したばかりに、A弁護士から全く能天気と言っていいアドバイスを受け、これを真に受けてしまった新井の不幸に、思わず唸らずにいられなかった」(猪狩)

ちなみに筆者はその後も、特捜部の事件捜査についてA弁護士が、テレビの情報番組でいかにも知ったような口ぶりでコメントする姿を見るたびに、あのときの猪狩の言葉を思い出し、苦笑した。もちろん、筆者が担当する番組でA弁護士に出演を依頼したことは一度もない。

新井将敬衆院議員の弁護をしていた元検事・猪狩俊郎弁護士(33期)
証券取引法違反の疑いで国会に逮捕許諾請求された新井将敬衆院議員