歌声は今も、友と共に

終戦後、俊子さんは美容師免許を取得し、26歳で自身の美容室を開業した。その後結婚し、4人の息子を授かったが、夫は病のため54歳の若さで他界。当時、俊子さんは49歳だった。それからは美容室を経営しながら、4人を育てあげた。

美容師として働いた頃の俊子さん

多くの困難を乗り越えてきた俊子さんの人生を、今も支えているものは「歌」。月に2回、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校を卒業した「ひめゆり同窓生」の元学友たちとのコーラスが、何よりの楽しみだ。メンバーは90代半ばを過ぎた今も、集まって歌声を響かせている。

90代半ばの同窓生たちが今も集まり、共に歌う

「こういう風に集まる機会があるっていうことは、大変ベリーグッド! 」

戦争を生き抜き、女手一つで子どもたちを育て上げた俊子さん。その言葉には、人生を力強く歩んできた人の重みがある。

「負けないで、しっかり前を向いて、人生を歩いていったほうがいい。くよくよしないで」

笑顔の “カジマヤー” 家族写真

祝福に包まれたカジマヤーパレード。激動の時代を生き抜いた女性の人生を、地域全体で讃え、未来への元気を分かち合う、笑顔あふれる一日となった。